13.日本パイロット 協会機関紙PILOT 平成15年9月号No.115
   「水先区たより」 (都市洪水の脅威)
に掲載された内容。



                                                 阪神水先人会 稲葉八洲雄

 淀川資料館の松永さんが語る。
淀川流域で数多くの死者・行方不明者を出した昭和28年の台風13号。淀川の最高水位は
6.97mを記録したこの台風は、当時の建設省の定説を覆し、淀川の上流の木津川、桂川、
宇治川の3川で同時出水し、各所で大規模な破堤が発生、約20日間周辺流域の家屋が
床上や床下に浸水した。 水を極限まで含んだ堤防は、豆腐のようにぶよぶよとなって
各所で決壊する様は、この世の地獄絵そのものであったという。

(淀川の水位については、枚方観測所におけるOP上の高さ+6.868mを水位が0としている。
 従って淀川の水位が6.97mというのは、OP上では13.838mの高さとなる。)

  水都大阪、河川港大阪といわれる当地。
 大阪港で仕事をしている者にとって、過去約1400年間、踏襲されてきた河川対策、
河川整備計画の大要が180度軌道を変えようとしていること、目を見張らざるを得ない。
 生駒山系を東側の壁として北に淀川、南に大和川が対峙している。

 これらに囲まれた大阪平野、大化改新以来1400年の歴史の中で市街地が大洪水に見舞われ、
多くの人命と財産が失われてきた歴史の重さは、国内において他に類を見ない。
 大阪市はそのほとんどが大阪平野の中に位置し、市街地の海面上の高さの平均は
約10メートル、大阪平野の中心部にあって大阪城公園のある上町台地には、古代王朝の
副都「難波の宮」が存在した。大阪平野内で標高が最大と云われている「上町台地」の高さでさえ
海面上の高さは、わずかに20メートルである。 
 この地域での水害の頻度の多さは想像に難くない。

            

 平成12年(2000年)9月、東海豪雨が発生したこと記憶に新しい。2日雨量500ミリを
超えた。この東海地方では過去100年間の最大記録の2倍の雨量であった。また2日間の
雨量は年間降雨量の30%にも達した。

 この東海豪雨と同じ降雨量(淀川の基準地点枚方上流域の2日間総雨量約500mm)が、
近畿地方で発生したらどうなるか?
 近畿2府3県(大阪、京都、滋賀、三重、奈良、)で合計約184万人が堤防の破堤により
被害を受け、またその被害を受ける面積は33,000haで、大阪市の全面積(22,000ha)の実に
1.5倍に達することがシミュレーションで明らかにされている。

 大阪港の例を見ると、戦後60年間だけをとっても374カ所に築造した防潮扉、延べ60キロ
にわたる防潮堤、洪水被害の都度これらの嵩上げに要した莫大な費用と苦労には想像を
絶するものがある
 昭和以降だけでも、淀川流域の河川決壊による周辺住宅地が水浸しになった洪水が
7回もある。

            

 大阪で昭和のすべてを生き抜いたお年寄りなら誰でもが、大阪の洪水被害の恐ろしさを
知り抜いている。 大阪市民の皆様が、大雨による災害、台風災害のみならず津波災害にも
関心が深いのもうなずける。

 統計的には150年に一回襲ってきている南海大地震も大きな話題の一つだ。
 予想では津波の高さは2〜3メートル、発生から90分で淀川河口まで達するという。
 大潮(おおしお)の高潮時と同時刻になったらどうなるか?前回の南海大地震は、
1854年(嘉永7年)に発生し、その前は1707年(宝永4年)に発生している。ぼちぼち発生の
時期だと対策が真剣に始められている。

 一方淀川の生態系もここ100年間で大きな変化をもたらしているという。
ダム建設により河川上流と下流は不連続となり、自然な流れはなくなった。
 ダムからの放流は、治水利水優先で不自然な方程式で行われることとなり、これらの結果
多くの生物は住みにくくなり死滅または激減をまねくこととなった。

 ある日、通勤電車地下鉄大阪港線の車内のチラシに「洪水危機の脅威」「検証・都市の洪水」
(国土交通省・淀川河川事務所)の文字が目に付いた。
 新たな河川整備計画の立案に向けて、国土交通省淀川河川事務所が住民説明会、
対話集会を関西地方各地で開催する案内のチラシであった。
 仕事柄興味のある集会であり、当方も参加した。
 平成9年わが国の河川法が改正された。
 近代的な河川対策のスタートは、明治29年の河川法のスタートであり、主として「治水対策」
であった。 昭和に入って昭和39年に「治水」に加えて「利水対策」が入った。

 今回の平成9年の改正では、特徴の要点は次の通りである。
1.「治水」「利水」に加えて、環境保全、生態系の改善が加わった。
2.伝統的に河川対策が、国土交通省だけで取り扱ってきたが、今後は、これに環境省、
 厚生省、労働省、文部科学省なども加わり、国民生活全体の問題としてとらえる。
3.河川整備計画立案に当たっては、学識経験者等による淀川水系流域委員会の提言を受け、
 さらには地域住民の意見を反映された形で立案する。
  新たに立案される計画案は、今後20年〜30年間に実施あるいは検討する具体的施策を
 とりまとめるものである。
4.施策の基本として
 スーパー堤防、河川の自然な流れ、ダム建設については現在工事中の5カ所を含めて
 その要否を見直す。

              

(注)スーパー堤防とは、昭和63年に東京地方、近畿地方の河川対策として
知られるようになった。 近畿地方では、大和川、淀川などはいわゆる天井川
(河底が付近住宅地域の地面の高さより高い位置にあることをいう。)であり、
過去の河川対策の歴史が示しているとおり、河底の浚渫、堤防の嵩上げ
だけでは、洪水が発生した場合に被害状況が益々大きくなることを防ぐことはできない。

 川の両岸に堤防の幅を広げて堤防決壊を防ぐ。堤防の強度に限界をもたらしている
堤防の不連続(堤防は、川底から切り立っており,川と陸地が不連続であること。)を
解消すると共に、破堤しない堤防構造へと材質および構造も見直す。
 予測を超えた雨量により堤防が決壊することに備え、あえて決壊しても良い溜め池
のような場所を流域に造っておく。などをいう。

 淀川水系流域委員会(平成13年に結成された。)の提言は、今後永続的に対話集会を
繰り返しながら、随時軌道修正がなされて河川行政に反映され行くことになる。
 大阪港のみならず近畿一円に住む住民にとっては、大変に重要な今日的な
話題と考え「大阪からの水先区たより」として、以上お届け致します。

 関西地方のみならず、全国の皆様にとって河川行政に関する大きな関心事であろうと
考えております。
                                               以上

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