Epilogue:
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平成9年5月19日神戸港は、この日をもって「平成の開港」とし、
21世紀に向けて完全復興を宣言した。 当日の正午に撮影。
神戸港震災4周年をかえりみて
「いたわりあう人々の和」
人々は忘れかけていた大切なものを取り戻した。
震災後、阪神間の鉄道は3本とも途絶した状況が何ヶ月も続いた。
歩く国道沿いにはリュックを背負い、マスクをかけ黙々と歩く人の波があった。
行き交う人々が、時にさりげなく交わすいたわりの言葉、元気村で賑わう
ボランティアを中心とした人々の輪を見た。
その後、平成9年5月神戸港完全復興宣言がなされるまでの2年余りの間、
港内では、いたるところで巨大なフローティングクレーン、各種作業船、
運搬船、ショベルカー、ブルドーザー、ダンプトラックなど、工事に関わるすべての
機材がうなり音をあげて水面を、岸壁上を、そして港内外のすべての路上を
埋め尽くした。
神戸港、震災前は広く感じていた港内には、いたるところで作業船、運搬船が
所狭しと動きまわる。応急復旧を終えたコンテナ岸壁へ向け巨大なコンテナ船
を操り、所定のバースへ本船を着桟させる。
保安庁はじめ港湾管理者、三港建、埠頭公社、航行情報センター、船社、
代理店、工事関係者、タグボート、本船操船者等々すべての関係者の調和と
力の結集により、出入港作業の安全、港内の安全が図られ目標期限内に
港は完全復興した。
あちこちの作業現場で、汗と埃にまみれて働く人々の間に、いたわりと
助け合う心の貴重さが育まれていった。
戦後の復興過程で味わったものと同質の喜びが再び蘇ったように感じられた。
地道に働く人々が評価され、港の台所を支え続けるコンテナ船等仕事船の
貴重さが認識されつづける限り、港がかっての賑わいを取り戻す日は遠くない。
稲葉 八洲雄
(阪神パイロット)
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