日本海事広報協会・雑誌ラ・メール9/10月号、11/12月号
「港で働く船特集」に掲載させて頂きました手記です。
大阪市は平成11年7月20日が国民の祝日と制定され3年目の「海の記念日」に
復古帆船「菱垣廻船」浪華丸(全長29.9m、肩幅7.4m、積石数千石積級)を完工させた。
江戸時代、天下の台所として栄えた大阪が大消費地である江戸へ大量の物資を運ぶ
手段として菱垣廻船を生み出した意義は大きい。(写真1.)
(写真1)平成11年7月30日大阪湾にて帆走実験する菱垣廻船「浪華丸」
この復古帆船・浪華丸、現在建設中の大阪市海洋博物館「
なにわの海の時空館」
(直径約70メートル、高さ約35メートルの半円球ドーム)に永久展示される。
展示は 、大阪の海の交流史のシンボルとなり「海がつなぐ世界の文化」
「大阪みなとの繁栄」「船」「海への誘い」の4つのテーマで展開される。
資源の少ないわが国が「物資の海上輸送」という国民経済にとって最も大切な
部分を含め、海から多大な恩恵を受けていること。
「海の記念日」を迎えるたびに多くの国民が当地を訪れ、国民経済と海、
そして輸送手段としての船の役割に思いをはせて頂ければと念じている。
このような歴史的な意義を持つ大阪の海で仕事船を操る毎日。
このうえなき幸せと感じつつ紙面をお借りして「海で働く船」の一端を
ご紹介させていただきます。
1.大阪港の朝はこうしてはじまる
大阪港の年間入港船舶数は外航船、内航船ともわが国で4番目と多い。
他の大港湾に比べ港内の水域面積が狭く、過密度から見ると関門港と並び
トップになる。
北の中島川、南の大和川に挟まれたかっての河川内港・大阪港。
港内には正連寺川、安治川、尻無川、木津川の4本の川が流れ込む。
川の両岸には多くの内航船が停泊し貨物の積み下ろしをする。
江戸の名残をとどめているところも数多い。
1日中多種多様な船が入出港し、他の港湾では見られない「船の歴史」の
縮図を見る思いがする。
朝0530から30分ミーティング。(写真2)
(写真2)朝0530当日の入出港操船業務に従事する阪神パイロット
大阪支部の面々。パイロット乗船リスト、No Pilot船リスト
を入念にチェック。
0600約12名ほどのパイロットたちは3隻のパイロットボートに分乗し、
沖で待つ入港船に向かう。
0630までには入港各船に乗船、船長に替わって所定のバースまでの
本船のきょう導に従事する。
夜明けと共に大阪港は躍動を開始する。
すべての船舶が動き出す。
内航船、フェリーを含めるとパイロットが乗船しているのはわずかに1割足らず。
また外航船といえども総トン数1万トン未満の船舶にはパイロットを乗船させる
義務はないといった世界でも他に類のないユニークな制度が大阪港を含め
日本の多くの大港湾でとられている。
PILOT船(パイロットを乗船させている船)の周りはすべてNO PILOT船
(パイロットを乗船させていない船)となることが多い。(写真3)
(写真3) 天までとどいているのかと思うほどの長さの縄梯子を上る
大橋パイロット。 時化の時は命がけ。。。
港内の秩序が乱れるのは当然のこと。
その港の港則法など見たことも無し、日本語は話せない。
信号所への通報義務はタグボート任せ。
これらの多くが港内海図を持っていない。
自分の船のバースの場所を知らないものもある。
それでも堂々と入れる。
本船へ乗船後、周囲の状況の確認。
船長との挨拶もそこそこにトランシーバーでの交信が始まる。
入港する船舶のほとんどが大阪港本港と南港との分岐点になる南港2番ブイに
一旦船を進める。
南港2番ブイ付近が大阪港の第1の難所。(写真4)
(写真4)大阪港南港の早朝入港ラッシュ。
秩序良く入れば問題ないが、PILOT船はわずかに1割か2割。
本船の船長からは「何故日本は強制パイロットにしないのか」とぼやかれ、
返事に困る。 そして「こんな国はどこにもないぞ!!」
「なぜパイロットは黙っているのか」と叱られる。辛いものだ!!
「阪神パイロット140南港信号所。こちら阪神パイロット132、
C6入港船です。あと約10分後フェリーさんふらわーに続いて南港関門通過予定ですが、
入港してよろしいでしょうか?」
信号所との交信はすべてタグボート経由で行われる。
「こちら140.南港信号所。C6入港了解。そのまま入港してください。
貴船の前にL6、およびC7入港のNO PILOT船がおりますので十分に注意して
入港してください。」
とのメッセージがタグ経由で帰ってくる。
また大阪港の別の入口。
本港大関門を出港するPILOT船からのトランシーバーの声。
「本港入港各船。こちらC3出港のコンテナ船です。
関門通過しました。まもなく下船致します。
各船左舷対左舷でお願い致します。ただいま内港航路のやや南側をバージ曳航船が
入っていきます。
行先は木津川方面の模様です。
その他出港するNO PILOT船が3隻航路のど真中を出て行きます。
注意してください。」
入港PILOT船各船からの「了解!」の声。
そのほか多種多様な交信が空間を飛び交う。
多くが不審な行動をするNO PILOT船を呼び出して、行動を確認しようと
試みるPILOT船の発信。
ほとんどの場合はNO PILOT船からの応答は期待できない。
またNO PILOT船からの発信はない。
NO PILOT船は自船のことで精一杯か?
あるいは呼びかけを無視し、不審な行動を続けるつもりか?(写真5)
(写真5)大阪港本港へ数珠繋ぎで入港する早朝の状況
右前のコンテナ船EVER GENERAL 46,410トンからは前を行く小型の内航船は
ほとんど見えない。
船首のコンテナに隠れてしまう。
船間距離を十分にとると別の小型船がすぐに割り込む。
朝の道路交通ラッシュと同じ。
一定の車間距離(船間距離)でスムースに走ればあまり問題が生じないが、
道に詳しくないものがキョロキョロのわき見運転をして蛇行されるとかなわない。
小型のNO PILOT船は機関の回転を落とすとすぐに船速が落ちるが、
20トントラック5,000台分の重さを持つコンテナ船の場合はそうはいかない。
後に続くコンテナ船は大慌てでストップエンジンの上、後続するPILOT船にも
「前を行くNO PILOT船前進を停止した模様。こちらもエンジン止めました。よろしく。」
NO PILOT船は理由も無く不意に船を止める。
さらには「前をゆくNO PILOT船、急に方向転換、出口の方に向かいだしました。
入口を間違ったようです。各船注意してください。」
港内にも交通ルールが無いわけでないが、ルールを守らないもの、
知らないものが半数以上になると無法地帯といえる。
ルールはあっても大抵の場合は、「臨機の処置」または「船員の常務」が優先され、
陸上のようにわかりやすい具体性のあるルールではないのが特徴。
陸上のように道路がハッキリ明示してあるわけで無く、取り締まりのおまわりさんが
見張ってるわけでも無し、順路に沿って秩序良く走っている船の前面で横になっても、
事故さえなければ罰せられることもない。
このような朝の大阪港であるが、であるがゆえに、われわれ「船あやつり職人」の
生きがいのある職場があるわけです。(写真6)
(写真6) 本船の前を行く同行船はNO PILOT船。自船の前は何も居ないのに
ゆっくりと、のんびりの 一人旅を決め込む。
自分の後方にはたくさんの入港船で詰まっているのに。。。
後ろも見てよ。。。
2.本船上でのエピソードのご紹介
(1)その1.
ある日、大阪は堺泉北港汐見埠頭より7,000トンの貨物船を出港させる仕事で赴いた。
船橋にて待つ船長が私の顔を見るなり「神戸の和田岬まで持っていってくれるのですね?」
との問いかけ。
「いや、私が代理店から要請されているのは貴船を出港させ港外まで
持ち出すまでですよ。」
それを聞くや否や船長は階段を駆け下り、岸壁で本船の出港を見届けようとする
代理店担当者としばらく話をして、再び船橋に戻ってきた。
船長の顔を見るのもつらかった。
大阪湾、大阪港、堺泉北港は1万トン未満はパイロット強制ではない。
この船のオーナーは強制港で無い限り船長がセルフでやるように船長に云っているらしく、
また代理店にもそのように云ってある。
セルフの場合は、いくらかの手当てが会社から船長に支給される。
大阪港は初めてという船長。和田岬がどこにあるかも知らない。
まともな海図も持っていない。
入出港だけでもパイロットを会社がとってくれた事で良しとせにゃならんのかも???
NO PILOT船の船長もある意味では犠牲者か?
そのあとチャートテーブルで和田がどこか?
内海パイロットはどこで乗ってくるのか? を教え、
「大丈夫ですよ。キャプテン!!今の時刻は船も少ない時間帯ですから。。。」
と勇気づけたつもりで港外で下船したが、うしろ髪をひかれる思いであった。
セルフを拒否して会社から首にならないよう。船長さん!頑張って!!
(写真7) コンテナ岸壁を早朝3隻同時に出港するコンテナ船。
ここは木津川および尻無川方面への通航路でもあり、通航船の邪魔をしないように
手際良く さっさと回頭を終わらせねばならない。
写真の3隻はすべて3万トンから5万トンクラスのコンテナ船であり、回頭を
始めると他船は通航遮断される。
(2)その2.
ある日の午後、西北西の風が急に強くなり、離着桟業務が安全面から不能と
思われる状況に達した。
そんな時に堺泉北港コスモ北桟橋から50,000トンクラスのLPG船を離岸させる
仕事が私に回ってきた。
代理店から電話が入る。
「風が強いのですが、タグボート追加で何とか船を出して頂きたい」
「とにかく本船に向かいます。船長とよく相談をして、安全に出港させうる目途が
立つようでしたらやりましょう」と返事した。
船橋にて船長と共に風の息き吹く状況、周囲の状況をしばし観察。
風の強さは12メートルから最大で15メートル。
西のうねりも大きい。運航停止基準を超えている。
代理店が心配するのも当たり前。浜寺泊地の防波堤の外側にある桟橋。
西北西の強い風で本船は桟橋に押し寄せる波と共に擦られ、このままいつまでも
本船を係留しておくと桟橋も本船もボロボロに壊れる危険あり。
当然のことながら、私の到着時にはタグボートが2隻で桟橋と本船の損傷を
和らげるべく懸命に「曳き」の動作を継続中。
船長も初めは「こんな状況下では本船の引出しはきわめて危険」と判断し、
このまま、停泊しておくことを主張していたようであるが、
桟橋との擦過状況を見るに、やがて船長自ら「出港したい」と私に告げた。
「善は急げと」出港作業に着手。通常ならタグボート3隻のところを、プラス1の
4隻で勝算ありだ。
船長、機関長を交え、機関の使用方法について打ち合わせる。
最近のエンジンはすべてがコンピューターコントロールされている。
融通が利かない。
一定の回転および船速にならなければ回転アップが出来ないように自動的に
セットされている。
機関長と船長に確認。
「私の出す矢継ぎ早の回転アップのオーダーに何とか対応してくれ!!!」
「出来れば手動操作に切り替えてほしい。今回は非常事態だ。
いつもと同じでは駄目だ。」
風に逆らう方向にタグ4隻で全力で曳かせ、いつもの2倍から3倍の距離が
桟橋との間に出来たところで本船エンジン後進回転を一気に上げていく。
回転を急いで上げても船速が伴わなければスクリューが空回りするばかりで
大した効果は期待できぬが少しはましだ。
4隻のタグの船長にもあらかじめ操船方法を説明しておいた。
後進行脚がついてくると風に向かって曳いているタグの力は半減する。
タグボート自身の姿勢制御で精一杯になるからだ。それは先刻承知のうえ。
船体は風下に落され桟橋に接近するも、無事先端をクリアーし、
広い海面での回頭作業に移った。その頃突然風の強さが20メートルを大きく超えた。
間に合った。やれやれ!!
泉北港での突風、珍しいことではない。
突風だけは「風予報図」でも「どの程度の風か」は予測が困難。
船長さん!機関長さん!よく頑張ってくれたね!4隻のタグよ!
よく辛抱してくれたね!作業終了だ!!
ありがとさん。。。さようなら。。。
(写真8)大阪港港大橋を通航するEVER ULTRA 69,218トン。
橋脚間可航幅と本船の長さがほぼ同じ。
ここが大阪港第2の難所。4つの方向から船舶が行き会う。
まことに危険な見合い関係となる ことが多い。
通航路は橋を基点に80度屈曲している。
(写真9)大阪堺泉北港浜寺泊地内大阪ガスLNG第2工場第1バースに間もなく
着桟するLNG船アルワックラ 111,124トン。
1回の輸送する液化天然ガスの量は約200万所帯1ヵ月の使用量に相当する。
操船者の眼高は水面上40メートル。本船の長さ290メートル。
(3)その3.
昨年の早春。北西風の強い日の早朝。ARBATROSというBAHAMA籍24,803総トンの
「飛鳥」クラスの客船の入港作業に従事した。
当日は早朝から強い風が吹きまくり、パイロットボートはおろかタグボートでも港外に
出るのは至難のことであった。
やがて風がやや静かになってきた。
せめて大型船と客船だけでもなんとかしたいものだとタグボートで担当の客船に向かった。
風とうねりで本船にたどり着くのに難渋を極めた。
便乗させてもらったタグの船長曰く。
「客船はパイロット出入り口付近にたくさん船窓がある。
タグを横付けする時に窓のガラスを壊します。
これではとても無理ですよ。」私も「同感」であった。
「近くまで行って乗船の可否を判断しよう。」
と結論は持ち越した。
いつもの3倍の時間をかけてやっと本船サイドにたどり着く。
本船サイドでタグの動きを見ると海面を約4メートルほど上昇下降する。
本船上では船長はもとより、たくさんのお客さんがタグの動作と私の挙動を
固唾を飲んで見守る様子見て取れる。
何とかしてやりたいが!! 相当な高さのうねりだ。
「これはとても無理だ」と思った。
タグの船長の云うとおりだ。
本船の船窓を壊してしまうわい。
この間VHFの15チャンネルで港外まで本船をきょう導してきた
大阪湾パイロットとの交信が続く。
「もう少し右に振ってリーサイドをつくってください。」
「右前から突っ込んでくる船がかわったらもう一度つくってみよう。」
「今度は本船の後部からトライしてみたいと思います。
船長に縄梯子を船尾に下げるよう云ってください。」
「本船の船尾には縄梯子はない。
サイドの縄梯子を本船船尾に移動させるのは構造上無理だと
いっている。」
よし!!六甲山脈に頼るとするか!!
その時すでに大阪湾を北へ南へ西へ東へと迷走(?)悪戦苦闘の
30分が経過していた。
最後は六甲山脈の恩恵にあずかるべく大きく北上し山脈の陰で
風・うねりの影響を最小限に押さえるポジショニングとした。
この客船を待ちうけて港湾局のブラスバンド隊はすでに岸壁で待っていることだろう。
各種のレセプションの予定も目白押し。船長の気持ち、船会社、代理店も
本船の無事の着桟を期待しているに違いない。
結果は正解であった。
距離は伸びたが、かえって時間は節約できた。
無事に本船のきょう導を大阪湾パイロットさんから引き継ぎ、港内に船を
向けることが出来た。
ブラスバンド隊を長く待たせることも無く、レセプションの計画を中止させることもなく
着桟を完了。
やれやれであった。
六甲山は私を育ててくれた親父。
親父よ!!また助けてくれたな!!
ありがとう!!
(写真10)堺泉北港浜寺泊地に向け全長7,600メートルの浜寺航路を進入する
VLCC 153,644トン。
航路幅は300メートル。航路幅のみ深く掘り下げられ、喫水の深いVLCCの通
航を可能ならしめている。
この泊地内にはLNG、LPG、原油など関西で必要とするエネルギーの大部分
を陸揚げする極めて重要な基地のすべてが軒を並べている。
(写真11)大阪港客船桟橋は、アプローチを含め豪華客船の入港にふさわしい
景観を誇っている。
進入路は遠巻きに北港大橋、安治川大橋、港大橋の3本の大橋で囲まれ、
それらの内側には、 左岸に2008年夏季オリンピック候補地の建設、右岸には
西日本一のノッポビルのコスモタワー(WTC)、ATCビルなど人目を引く建造物が
立ち並び、船首方向には驚異的な集客力を持続 しつづけている海遊館がある。
3.こんな行事もある。。。
一昨年の4月、大阪港築港100周年を記念して「Sail Osaka '97」が開催された。
世界17カ国から48隻もの帆船の参加があった。
大阪湾阪南港より大阪港までの帆船パレードが行われた平成9年4月29日、
私はパレード第5番船の水先にあたった。
この写真はパレード3番船のアルゼンチンのLIBERTADがスタートポイントを
通過した時のもの。
今回のSail Osaka '97よりさかのぼること14年。
大阪では1983年にも「'83大阪世界帆船まつり」(OSAKA
WORLD SAIL '83)が
開催されている。
これだけの大きな帆船イベントを挙行したのは日本では大阪だけであろう。
今回が2度目の開催になる。
大阪はWorld Sailing Festival
の地としても国際的知名度を高めている。
パレード当日は10隻余りの大型フェリーが見物客用にアレンジされ、
さらにはパレードのフィニッシュポイントとなった南港周辺での見物客用特設会場を含め
数万人の人出で賑わった。
(詳しくはホームページ目次の4.をご覧下さいませ。)
(写真12)平成9年4月29日の大阪港帆船パレードにおける第3番船、
アルゼンティンの帆船LIBERTADのパレードスタートの瞬間。
4.おわりに
テレビの連想ゲームではないが、日本で「船」といえば客船か帆船あるいはフェリーボート
ぐらいが連想されるのではないだろうか。
美しい客船の入港には多くの人が集まり、賑わう。
「海で働く船」すなわち港の台所を賄い、「海から多大な恩恵を受け」「資源の無い国」
「貿易立国」かつ「国民経済のきわめて大切なところで地味に活躍している」他の95%の
貨物輸送の船舶の事を連想できるひとは少ない。
これらの言葉はすでに「死語」になってしまったのだろうか?
「海の記念日」のたびに思うこと。船とは「華麗なもの」「ロマン」「あこがれ」「美しきもの」で
なければならないのだろうか?何故??
私の「何故??」が足を向けさせた。
行く先は教科書販売店。2軒の書店で、中学校の社会科教科書3冊。
高校の現代社会の教科書3冊を隅から隅までむさぼるように上記の文字を探し求めた。
全くどこにも見当たらなかった。
せめて「国民経済と海上輸送の役割」くらいは記述があってほしかった。
これらに関する記述は全く無い。
いつ頃からこうなったの?
平時の日本にとって今や海上物資輸送は重要では無くなったか?
7月20日「海の記念日」は国民の祝日となって今年で3年目となる。
国民の祝日と制定されているのは日本だけであるとの事。
この記念すべき祝日を「華麗」や「あこがれ」、あるいは「海との戯れ」だけで
終わらせてよいのだろうか?
人間も30年仕事してくると顔に思慮深さを思わせる皺ができてくる。
私は船についても、このような皺のある船が好きで、そのような船ばかり撮りつづけて
幾年月。
私にとっての「海で働く船」すなわち私の造語でもある「仕事船」とは、「華麗」や「ロマン」、
「あこがれ」は全く縁が無く、「人生の皺」「海の、自然の恐ろしさ」「迫力」「重量感」
以外の物ではありえない。
撮る写真に「汗と油の臭さ」がでるように励んでいる。
このような被写体に美辞麗句は不要です。
こんな写真にご興味をお持ちの方がおられましたら是非下記のURLにて
私のホームページ「海と船の写真展」をご覧下さいませ。
最後に日本の教科書編纂に携わっておられる御方にお願いです。
日本の教科書にも「国民経済と海上輸送の役割」といった記述を
載せていただけるようご尽力お願い申し上げます。
同じ海洋国家である英国では、日本ほど外国に資源を頼っているわけではなくとも、
子供たちの教科書には、私が期待している記述が必ずあるとのことです。
「海の記念日」が日本の輝かしい未来への正しい舵取りとなるよう
願っております。
以上 完
ホームページ:「海と船の写真展」
http://inaba228.sakura.ne.jp/
E-mail, mm2y-inb@asahi-net.or.jp