平成11年(99-01から99-06までの配信メール)

平成11年7月27日
暑さもひとしおですね。。いかがお過ごしでしょうか。
稲葉です。。。

久しぶりの大阪港からの発信です(99-01)。
今朝27日0430大阪南港C6から神戸沖の錨地へ一隻のコンテナ船を持ってったのが
当日(26日)の私の最後の6隻目の仕事でした。
 0530に神戸の事務所に上がり、自宅の豊中に戻ったのが0630。
 それから暑くて寝付けないなかで、起きたのが午後の4時ごろでしたか。。。
 きたばかりの夕刊を見ると最初に目に入ったのが高知で起きた「フェリーむろと」
の座礁事故でした。

 それで急に昨夜の大阪南港から最後の船を出す時の状況を思い出したわけです。
 昨夜の5隻目の仕事は0230のコンテナ船の出港でした。
 それを終えたのが0330。最後の仕事の船に廻るにはまだ早すぎたが事務所に
戻るほどではなかったので直接最後の仕事である南港C6バースから神戸の錨地に
持っていく船に乗船した。まだ離岸までには1時間もあったが、岸壁にはすでに
港湾局の綱撮りと使用するタグ、昭陽汽船の泉陽丸ともう1隻すでに到着してた。
 パイロットボートから岸壁に上がるときに不審に思ったのは、いやに海面が
上がっているなあということでした。
 ほぼHigh Waterに近い時刻ではあったが。。。それにしても。。。
 そのとき、思い出したのが阪神大震災によって神戸港の全ての岸壁が約2メートル
ほど沈下してしまいH.Wの時は水面がもうすぐ岸壁上を洗うまでになったことです。
 今回目撃したのはまさにそれと同じ。パイロットボートのサイドブルワークの
高さと岸壁の高さが同じになるなど、これまで7年ほど、ここで仕事していて、
初めての経験でした。

 台風がもっと接近した時でもこんなことはありませんでしたね。。。
 原因は台風の進路の右半円であったことと、H.W時と重なったことによるので
しょうが。。。中型とあまり大きくは無かったはずですが持ち込んできた「うねり」は
予想以上に大きなものでした。
 本船のタラップは岸壁との激突破損を避けるべく高く引き上げられておりました。
しばらく岸壁上で綱撮りのおっちゃんとタグのおっちゃんとおしゃべりしている
うちに乗り組みが出てきて、私を乗せるべく一旦タラップをおろしてくれました。

 その頃はまだ「うねり」の程度もビックリするほどではなかった。
 その後どんどん大きくなってきた。
 乗船してブリッジのウイングでうねりの動きをつぶさに観察すること約40分。
 次第に本船は岸壁から離れたりくっついたりの振幅が大きくなってきた。
最大幅は3メートルを超えたか???岸壁にくっつく時の衝撃も次第に大きく
なり始めた。衝撃を和らげる為タグに早めのスタンバイを要請し、0400に起きる
予定で寝ているという船長を起こすよう乗り組みに云う。
 ブリッジに上がってきた船長もビックリした様子。当時のうねりの進入の周期は
約10秒でした。西に開口した南港。
 
 入口よりまっすぐに入ると南港コンテナ岸壁C6,およびC7。
 ここは南港のどんずまり、当然高潮(台風高潮)時には最も注意を要するところ。
0430時に離岸、港口に向かったがうねりが大きく入口がいつもよりやたらに
狭く見えた。
 同じ経験が皆様にもおありでしょう。。。
 台湾は基隆港、北に港口があり、そこに冬季に入港する時は港口に向かう
うねりが余りにも大きくパイロットはそんな時、港の中で乗る。
 港の中にパイロットなしで入るにはかなりの勇気が要る。真後ろから大きな
うねりであおられて操舵が思うように出来ない。
 そんな時の安全に入るコツはスピードを落とさずに全速力のまま、突っ込み
入口に入った途端にストップエンジン、全速後進をかけ、両舷アンカーをレッコー
する。 これだと思った!! 

  今回のうねりは逆方向だから深刻ではない。
 それでもいつもより早めに港内より全速に上げ、南港を脱出した。神戸港へ向け
航走中も大きなうねりでこれでは錨地で無事にパイロットボートに降りられるか
心配したが大したことなく無事に降りた。
 神戸の沖のうねりも相当なうねりで、当日早朝着桟してガントリー荷役が無事に
可能かどうか船長は心配していた。

 読売の27日の夕刊に出ていた高知でのフェリーの乗り上げ。時刻が27日0440.
 私が最後のコンテナ船を南港から出したのが同日27日の0440と時刻が全く
同じでした。
 読売の夕刊には高潮の計測は報じられていなかった。
 大阪港での高潮の計測の場所は知らない。
 もし南港のコンテナ岸壁C6,又はC7に計測場所があったら、今回の
高潮(たかしお)約1メートルをこえるほどであったに違いない。。。
 以上本日の大阪港からの発信でした。。。
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平成11年8月7日
 今朝までの丸2日間、台風8号の影響でけっこう大阪港も吹きましたね。。。
今回のものは大きかったのでしょう。。。ここからは遠いのに。。。

 大阪港からの発信です(99-02)。
 本日は港での携帯電話の効用について書かせていただきます。
私も一応携帯電話を持って3年になりますが、毎月の請求書を見ると
基本料金の\3,500プラス何がしかでせいぜい¥3,800円程度が続いて
おります。
 ダイヤル通話料は有ってもせいぜい毎月¥200円程度。
 携帯の番号はどなたにも教えておりません。教えたところで
こちらにかけてもこちらのスイッチは常時off。
 使うのは私がかける用事があるときだけ。
 電話のない防波堤に船の写真を撮りに行く時と、仕事で本船に
行く時だけです。
 つい最近の本船上での携帯電話の貴重な働きをお知らせ致します。

 当日の何隻目かの仕事が大阪は堺泉北港のある桟橋から
44,000GTあまりの船舶を出港させることでした。
 出帆直前。トライエンジン。動きが悪い。何かあるな???
 機関室から船長にTEL。GREEKの船長の顔を覗く。
 良くない知らせだな???
 船長曰く。
「エンジン故障で出られない。DEAD SHIPのまま港外の錨地に
もってってくれないか???」
「代理店に話す。しばらく待ってくれ。保安部の許可もとる必要がある。」
と答えた。
 
 携帯でパイロット事務所に「本船はDEAD SHIPだ。代理店と保安部が
OKするならタグボート+1の計4隻(このては通常3隻)で出すが、
すぐ確認とってくれ。船長は港外錨地を希望してる。」
 風は東よりの7〜8メートル。出港時は後ろ風。真横でないから
4隻で真西に開口した防波堤はかわれる。
 しばらくして携帯に答えが入る。

 「代理店から、錨地は7-29がとれましたとの連絡入りました。
タグプラスワンのことも了解です。よろしく。」
 錨地を保安部からもらうのは代理店の仕事。
 7-29がもらえた、ということであれば、当然浜寺航路の航路管制をつかさどる
浜寺信号所も了解していると理解をし、船長に「望みどおりOKがとれた」旨
伝え、シングルアップを要請。まだ到着してないタグを除き3隻のタグをとる。
 同時に信号所に「DEAD SHIPの○○号出港準備完了。出港許可願います。」と
タグ経由で電話を入れる。
 折り返し信号所から、「代理店から保安部に入った情報にはDEAD SHIPはない。
したがって現在保安部で検討中ですのでしばらくそのままお待ち下さい。
 今は出港は出来ません。追って連絡します。」とのこと。
 こちらもあわてた。船長にも「OKとれた」旨の連絡したばかり。

 すぐにまた携帯で事務所に「その旨」連絡。折り返しTELはいる。
「こちらでも再確認とったところ、おっしゃるとうりです。とりあえず代理店は
沖出しは取り止めるとのことです。 急変の理由は今のところわかりません。」
「稲葉さんは下船してください。」

 代理店が保安部に「DEAD SHIPを云うのを忘れたのか」あるいは
「わざと云わなかったのか」解らない。。。が。。。
 似たようなことよくあることだ。。。
 いまごろいろんな船がある。動き出してからのエンジンの故障、舵のトラブル。
廻りは港内海図も持ってない船がNO PILOTでうようよしてる。
 何が起こってもいちいちびくついていたら身が持たない。。。

 「一隻入魂」とは、まさに。。。の感あり。昔は良かったね。。。
 今の船員さん、外国人も日本人(極めてわずかですが)も大変ですね。。。
 海の安全。海上汚染の問題だけでなく。。。
 ほんとに大切ですよね。。。
 今の中学、高校の社会科のどの教科書にも、「海の大切さ」のことなど
 書かれていませんでしたが。。。いつからこうなったの???
 こんなこと今頃どうでも良いのでしょうか???

 下船前、船長に「機関長から修理の状況はどのように聞いているのか??」
と問うたが「機関長はてんてこ舞いで今のところ見通しは云えない。。。」
続けて船長曰く。
 「たった今代理店から連絡は入って、 とりあえず1時間30分後の
出港管制を保安部からとれた。次の出港予定は1145です。
  それまでここにおってくれ!!」とのこと。
 
 「私がおることは出来ぬが、代理店経由で要請が出れば別のパイロットが
来るから船長は心配不要。」
 と答えて大阪湾パイロットさんと共にタグボートに下船。帰路につく。
 この間、携帯は大活躍。私が5回使用。携帯をお持ちでない大阪湾パイロット
さんにもお貸しして、そちらも2転3転する情報に振り回され、大阪湾パイロット
事務所との連絡に4回ほど使用した。
 こんな時は「ほんとに有り難い」携帯電話です。

 私の娘は毎月多額の携帯使用料を払うのに毎日必死で家庭教師の
バイトが続く。  安価な有線電話のあるとこで生活してるのに。。。
 息子はと云えば、親父が同じカローラを10年も乗っているというのに、
「3ナンバーの」車を乗りつづける経費を稼ぐ為、これも必死で
家庭教師のバイトをする毎日。。。
 なにかおかしいんじゃござんせんかね???
 若い時に、より貴重な時の過ごし方が有る筈だ。。。
 当たり前のことですが、こんな費用に親は「ビタ1文」も援助はしていない。

 また長文で失礼しました。。。
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平成11年8月21日
大阪港からの発信です(99-03)

 inabaです。。。
本日は、「フェリーむろと」の関連です。。。。
「フェリーむろと」が座礁以来21日振りに離礁したとの報道が
17日の夕刊に出ておりました。座礁した7月の27日以来、
寝つきの悪い日が続きました。
 理由は、
(1)前回の発信(99-01)でお知らせ致しましたように
 「フェリーむろと」の座礁時刻と同じ27日の0440に、私の船は
 大阪港南港関門を急ぎ出るべく、エンジンをFullにあげていたが、
 関門入口を襲うねりの大きさに一瞬息を呑みました。
  その時の光景が今でも時々夢に出てきます。
   全く同じ時刻に「フェリーむろと」の久保茂夫船長さんは何を考えて
 いただろうかと思うと心が痛みます。このフェリーは大阪港に毎日入ってきます。
 VHF16チャンネルでお互いに交信しあっている仲間です。
  15メートルの風の中、タグ無しで離着桟することが問題無しとする会社の 
 異常な常識のなかで常日頃から辛い思いをしてきたに違いない。
  大阪港には常時たくさんのタグボートが待機しており、緊迫した
 気象条件の中では、 いつでもタグボートの手配、さらには追加が
 可能です。
  タグボートが常駐してない小さな港にも多くの内航船や内航フェリーが
 入出港しているに違いない。ほんとに厳しい話しですね。。。
 ほっておくと同じような事故が何回でも起こり得ます。
(2)座礁以来、事務所にある各新聞を見て、記事の取り上げ方に注意を
 払っておりましたが、大新聞にも今や海事に詳しい記者はいないのか??
 との疑問。
  この二つが寝つきの悪い原因です。
 どうも釈然としないのです。座礁当時からの新聞の取り上げ方は。。。

7月27日夕刊報道では。。。
1.27日0345同港からわずかに30キロ南の室戸岬で最大風速29.9メートル
 を記録している。最大波高は5メートルを観測。
2.総トン数6,472トンの「フェリーむろと」は、座礁の0440直前に1回着桟を
 試みて失敗している。いったん防波堤の外に出て再び接岸しようとしたところ、
 高波にあおられて座礁した。
3.本船の所有者は町長さん。第3セクター方式の経営。
 所有する船は、「フェリーむろと」のみ。

 事故後の社長さん(町長さん)のコメント。
 「あってはならない事が起きて残念」とのこと。
記者も何を尋ねるべきかが解らない。
 記者自身、中学や高校で「船や海」のことを何一つ学んでないから
乗客乗員159名も乗ってるフェリーの座礁事故が起きてもポイントが
わからないのは当然か???

 報道は1面と3面に大きく報じられておりましたが、フェリーの
「運航管理基準」がどうなっていたのか? ヒョットすると無かったのか???
 あるいは、このような気象・海象条件の中でタグボート無しで2回も着桟を
トライすることが「当たり前の常識」なのか??
それとも「無謀であるのか???」
このような時に避難する習慣があったのか、無かったのか???
 全く記者のコメントがありません。
 航空機の事故の場合と比べて、掘り下げ方が全く異なります。
 今や、「船と海」に関して国民も無知であり、報道する側も全くの
無知ですね??

7月28日朝刊の報道では。。。
 見出しは、「操船ミスの可能性」と大きく出た。中身は、
オーナーである高知シーライン(社長さんは町長さん)の本社の
記者会見について。。。
。。。同社によると、運航自体の決定につては「大阪出港時は10メートル、
甲浦港入港時は15メートルの風だったが、問題無かったと思う」。。。。
 つまり同社の場合、「15メートルでの運航は問題無し」との認識のよう
です。。。。
 これでは船長さんがかわいそうです。。。 会社を首にならない為には、
この無謀な常識に逆らえないのでしょうかね。。。

 それでは大阪港のフェリーの運航はどうでしょうか。。。
 全く違います。大阪港には毎日分刻みですごい数のフェリーが入出港して
おりますが、風が10メートルぐらいになれば必ずタグボートを使います。
15メートルにもなれば必ず運航休止となります。
 当たり前のことですがフェリーの運航管理は各社とも専門知識の豊富な
プロがやっておりますし、そうでなければ運輸省海運管理部から
運航停止処分を食らいますね。。。
 タグボートも常駐してない小さな港の場合は、運航管理基準が無いのか、
あるいはあっても「甘い」のか??このようなことを記者は調べねば
いけませんね???
 フェリーに似たような船を私どもも扱っています。
 自動車専用船やLNG船です。類似点は「横風に弱い」です。
 船体横方向の受風面積が大きく横方向の風に対して常に厳しい
操船を強いられます。
 自動車船、LNG船を15メートルの風の中で離着桟する港は無いはずです。。。
 いくらたくさんタグボートを使ってもです。。。極めて危険なのです。。。
 大阪は堺泉北港にはたくさんの自動車船、LNG船が入ってきます。
 いずれも15メートルの風では何隻タグを使っても離着桟はしません。
極めて危険です。

8月16日夕刊の報道。。。
 「フェリーむろと(6,472トン)」の離礁作業が朝から始まった。
満潮時をねらい2,000トン吊りフローティングクレーンで吊りながら
5隻のタグで曳航、甲浦港内に曳航する作業。

8月17日夕刊の報道。。。
 17日朝0820離礁。同日正午甲浦港内に曳航終了。
 高知シーラインは同船の修復を断念。
 航路再開に向けて代わりの船を捜している。

(余談ですが。。。)
 ある報道では、大阪港天保山にある「海遊館」。
ここは予想を大幅に上回る驚異的な集客力を持続しつづけている。
ここの魚は毎日「フェリーむろと」がダイレクトに甲浦港から運びこむ
生きた魚に頼っている。
 これがストップしたことで大騒ぎしている。
 秋の終わりまでは何とかなるらしいが。。。
 高知まで魚を陸送すればいくらでもフェリーはあるが陸送中に
お魚の半分は死んでしまうとのこと。

話しが横道にそれました。。。
 今回の座礁の報道を見て、いろいろと考えさせられております。
「貿易立国」「海から多大な恩恵を受けつづける日本」
「海上における物資の輸送と国民経済とのかかわり」
「海洋国家としての海の記念日」
 これらの文字が中学校、高等学校の社会科の教科書から消えて久しい。
われわれの中学、高校時代の教科書には確かに記述がありました。
 中学、高校の社会科の教科書数冊を入念に調べてみましたが、
現在の教科書にはこれらの字句は全く見当たりませんでした。
 なんとか子供たちに「海と船の大切さ」
「資源の無い日本では船は大切ですよ」と伝えたく、
「海と船の写真展」と題してホームページを開設し、
海事の啓蒙をライフワークと致しておりますが、今回の報道を見て、
新聞記者を含め国民の皆様の海とのかかわりの薄さを痛感しております。

 今後とも貿易立国であることに変わりのない日本で、中学や高校の
教科書に、少なくとも、「海上物資輸送と国民経済とのかかわり」ぐらいは
載るようになるまで、「海事のPR」にかかわって参りたいと思ってます。
 7月20日の「海の日」に多くの人々が、「ただ海と戯れるだけ」で
終わらせることのない日がくるまで、はかない夢を追いかけるつもりです。。。

 このほど日本海事広報協会から貴重なチャンスを頂きました。
 雑誌「ラ.メール」の9,10月号および次の11,12月号での「港で働く船特集」
の中で「仕事船を操って幾年月」というのを書かせていただきました。
 「海事の啓蒙と教科書でのとりあげ」をテーマとしているつもりです。
 間もなく9,10月号(前半分)が出版されるそうです。
 お近くでご覧になる機会ございましたら是非。。。。。。
11,12月号が出版された後(本年末?)、HPにも掲載致します。
 写真は全部で12枚ほど使用しております。

 最近始めました「大阪港からの発信」の配信先は、
私のメールアドレス帖に記載のある方々の中から海事関係団体・個人
さらには友人など200余名の方々にEメールにて配信致しております。

  配信は月1回または2回程度で、なにかトピックがありました場合に
発信致します。
 なお、次回以降の配信は「不要」とのご連絡なければ続けて配信させて
いただきます。
 また、お知り合いの方で「配信をご希望の方」おられましたら是非、
Eメールアドレスをお知らせ下さいますようお願い申し上げます。
 
 「画像の配信」につきましては、ファイルサイズと受信時間のことで
甚だ躊躇致しておりますが、今回カラーに比べファイルサイズ(受信時間)が
3分の一と短縮されるモノクロで1枚送らせていただきます。
 添付の写真は、神戸から「フェリーむろと」の座礁現場に行かれた
写真仲間の村井 正さんの撮影によるものです。
 オリジナル89kbのモノクロをJpeg圧縮で38kbにして添付ファイル送信
させていただきます。

ホームページ本年末までの追加掲載予定

1.「大阪港からの発信」に付きましては、まだ始めたばかりですが
  本年秋頃にはHPの「大阪港便り」の項目のところにまとめて掲載予定です。
 2.その他の追加掲載の予定は。。。
  (1)「菱垣廻船」と天下の台所(仮称)
    大阪市港湾局のご厚意により、タグボートに乗せていただき、 
       実験帆走の写真を撮ってまいりました。
    その後、大阪市中央図書館にて「菱垣廻船と天下の台所大阪」
   についていろいろと調べております。
     本年秋までにはまとめてHPに掲載する予定です。
  (2)大阪港、堺泉北港における入出港操船中の9コマ展開写真(船種別)
    (シミュレーションのようなものです。)
  (3)ラ・メール9,10月号および11,12月号「港で働く船特集」に掲載予定の
   「仕事船を操って幾年月」(全て刊行されてから掲載致します。)

(追記)
  既配信(第1信)および(第2信)未着信の方で、配信ご希望の方おられましたら
 ご連絡くださいませ。折り返し送信致します。
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平成11年9月6日
大阪港からの発信(99-04)です。  
 海と港そして仕事船を大切にしておられる皆様方へ

 朝夕は凌ぎやすい季節到来ですね。。。
稲葉です。。。
 前回皆様にお送り致しました配信(99-03)「フェリーむろとの座礁関連」
について各方面からたくさんのご意見ご感想が寄せられました。
 ありがとうございました。
 それらの中から、私ども海で働くものに取りまして大変に心強く
感じられる反響の一つをご紹介させていただきます。
(株)日刊海事通信社がフェリーむろとの座礁事故に関して
独自に調査を行い、「安全運航に対する意識の高揚を!!」
と題する記事を9月2日付け掲載致しております。
掲載記事が当方宛にも送られてまいりましたので、
 原文のままご紹介致します。

掲載日: 平成11年9月2日
送信者:(株)日刊海事通信社
あて先: 稲葉八洲雄様
件名 : 海事通信の記事送ります
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 点       鐘          (1999.9.2 日刊海事通信に掲載)
       ★安全運航に対する意識の高揚を★
 ▼…高知県東洋町沖で起きた高知シーラインの「フェリーむろと
」の座礁事故で、同社の運航管理体制の不備を指摘する声が出てい
る。事故原因については、関係当局の調査を待たなければいけない
が、今年三月に運航管理者の選定を巡り、四国運輸局が行政指導に
乗り出したほか、五月には大阪南港に入港の際、岸壁への衝突事故
を起こしたばかりだけに、今回の事故も単に「操船ミス」では済ま
されない、と関係者は指摘する。幸い、五月と今回の事故も乗客、
乗員に大した怪我がなく、油流出もなかったため大事故には至らな
かったものの、この際、フェリー業界全体の問題として一連の事故
を改めて検証する必要があるのではなかろうか。
 ▼…まず、三月の運航管理者を巡る問題は、大手船会社出身の船
長経験者を会社側が解任したことに端を発する。代わりに営業マン
を選定し運輸局に届け出たが、「外洋を運航するため船長経験者が
望ましく、まして営業職との兼務は認められない」と行政指導に乗
り出した。結局は、営業マンが「三年以上の運航管理実務経験者」
だったことから、当局も「安全運航の徹底」を条件に認めざるを得
なかった経緯がある。また、五月の事故は、大阪港に入港しようと
した本船が、突風に煽られて岸壁に衝突。運輸局から口頭で厳重注
意処分を受け、再発防止を指導されたばかりだった。
 ▼…運航管理規程には細則で運航基準などが決められているが、
これは航路によって異なっている。当日の気象・海象条件が運航基
準に適合している、と言われればそれまでだが、果して運航管理者
をトップに社員、船員に対する安全教育が徹底していたのかどうか
。まして、二カ月前に事故を起こしたばかりだけに、その際、今後
の事故防止策を講じていたのだろうか。来年十月に海上運送法が改
正、施行される。規制は大幅に緩和されるが、代わりに小型船でも
運航管理規程の設定が義務づけられるなど、安全に対する責任は一
段と厳しくなる。今回の事故を教訓に、船員だけでなく、陸上社員
も含めて安全運航に対する意識高揚を図ってもらいたい。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

               以上「大阪港からの発信99-04」でした。
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平成11年9月28日
 大阪港からの発信です(99-05)。

 inabaです。。。
 本日は季節がら海難発生に大きく影響を及ぼす恐れのある突風に付いて
最近の大阪港での事例を含めて書かせていただきます。 
 春先および秋口、西に開口した大阪港、堺泉北港での突風発生頻度は比較的
多いように思います。
 この季節、大陸の高気圧と太平洋の高気圧が日本列島を挟んで押し合い、
へし合いする。
  気団の性質が非常に異なるため、境を接する日本列島上空では前線が発生し、
その周囲の空気が極めて不安定になる為に発生しやすくなっているわけでしょう。

 港内操船において注意を要する突風は、強さで云えばおよそ15m/s以上で、
それも突風の名の通り急にやってくるものです。
 穏やかな状態からいきなり、数分以内に15m/s以上、強烈な場合は、
数分以内に20m/s以上になります。

  冬季の季節風の強さ、あるいは台風接近による強い風と異なるのは、
物理的な準備、心の準備が整わないうちに「咄嗟の的確な判断」が
要求されることです。
 具体的な最近の事例をご紹介する前に気象庁で使用している風の強さの
定義についてご説明させていただきます。

  気象庁風力階級表(突風としての強さで操船に極めて影響のあるもの)
風力 m/s          解説

8 17.2~20.7  (陸上) 小枝が折れる。風に向かっては歩きにくい。
           (海上)波頭の端は砕けて水煙となり始める。
                    あわは明瞭な筋を引いて風下に吹き流される
9 20.8~24.4  (陸上)人家にわずかの損害がある。
                  煙突が倒れ、かわらが剥がれる。
             (海上)あわは濃い筋をひいて風下に吹き流される。
                  波頭はのめり、崩れ落ち、逆まきはじめる。
                   しぶきのため、視野が損なわれることもある。
10 24.5~28.4 (陸上)陸地の内部では珍しい。樹木が根こそぎになる。
                人家に大損害が起こる。
             (海上)波頭が長くのしかかるような非常に高い大波。
                泡は大きなかたまりとなり、濃い白色の筋を
                ひいて風下に吹き流される。
               海面は全体として白く見える。
               波のくずれかたは、激しく衝撃的になる。
               視野が損なわれる。
(風力11以上の強さの突風は、極めてまれですので省略します。)

 次ぎに皆様おなじみの電話の「177」の天気予報での風の強さの定義は。。。

例えば9月29日11時現在の予報で。。。
「南東の風、非常に強く、天気は曇り。。」の場合の
  非常に強くとは、陸上では20メートル以上、
          海上では25メートル以上のことです。
          すなわち海上の場合は、「暴風警報」に類します。
「南東の風、強く、天気は曇り。。」の場合の
  強くとは、 陸上では12メートル以上、
        海上では15メートル以上のことです。
          すなわち海上の場合は、「強風注意報」に類します。
「南東の風、やや強く、天気は曇り。。」の場合の
  やや強くは、陸上、海上ともに「強く」の場合の70%程度の強さのことです。
        海上の場合、まだ「強風注意報」は発令されません。
「南東の風、天気は曇り。。」の場合、すなわち強さの程度が示されない場合は、
     陸上、海上ともに注意すべき風ではないことと理解出来ます。

  私ども港内操船を仕事にしている者は、前日寝る前に1回、朝出勤直前の
0300観測、0330発表の予報を聞いて0400に家を出ます。
  又事務所では日本気象協会の地域別、毎時刻の予報を入手しております。

 問題は「突風は予報が困難」なのです。
 私達が海上で遭遇する突風の多くが極めて局所的、ピンポイントに発生する
ものが多いのです。
 そして時間的には極めて短時間(数10分以内)に消え去るか、過ぎ去ります。

  多くの場合、予測はほとんど不可能な現状と云えましょう。
 それではごく最近の大阪港での突風の事例を2例ほどご紹介致します。
 

 事例1.9月15日(水)1030頃、RORO船 大阪港南港バースJ1入港船 
     15,375総トン。RORO船とはフェリーや自動車専用船のように横方向の
     受風面積が大きく、横風に非常に弱い船です。
 パイロットA氏は1000堺南航路の南方で本船に乗船、入港操船を開始。
  堺航路を半ば進航したところで、急に風が強くなり始めた。右やや後方からの
 風であり、舵効が悪くなる。
   舵を効かせる為、速力をFullまであげ防波堤内の広い場所に入り、タグを取り
始めた頃 は風は20m/sほどになっていた。
 この状況では着桟作業は極めて困難と判断し船長に説明。直ちにタグの
支援を得て、  回頭を開始、港外へ避難することとした。
  この間、風は25m/sまで上昇した。

 港外で風が凪ぐまで約2時間ほど待機、1440頃再入港を開始した。
 この処置は、No Choiceの賢明なものであったと思います。

 9月15日1030頃小型の台風16号は明石、あるいは加古川に上陸したと
後で知りました。
 ほぼ同じ時刻でしたが、当時大阪築港の事務所にいても、街中にいても
全く強風は 感じられないほどであり、極めて局地的な突風であったと云えましょう。
 大阪港J岸壁付近は南よりの風に極めて弱いところ。台風接近に際し、
南風が強く なり始める時、最優先で沖出し港外避難をするように決められた
バースです。
 大阪港台風対策委員会で周知されている事でもあります。

 余談ではありますが、ここJ岸壁は台風でなくてもHigh Water時で南風が
強くなると、 しばしば岸壁に打ち寄せる波が水柱となって舞いあがり、
風に流されて岸壁上に落下、 岸壁上は約100メートル内側まで水浸しになり、
着桟終了してパイロットが本船から 岸壁上に下りる時、踝まで水に
浸かってしまうことが度々あります。
 

 事例2.9月17日1630頃 コンテナ船 大阪港コンテナ岸壁C3入港船
     19,698総トン。
  パイロットB氏は本船を操船して、大阪港内、港大橋を通過した。
その頃の風は 風力2乃至3くらいで全く穏やかであった。
 風が急に強くなる兆候は全く感じられなかった。
 
 港大橋を通過し、右に転舵、船首が岸壁法線に平行になる頃、
そして予定バースC3の 手前のC4バースに停泊中のコンテナ船の船尾が
本船の船首と並んだ頃から風が急に 強くなり始めた。

  あっと思う間もなく東の風の強さは風力8を超える(20m/sを超える)
までに達した。
  岸壁に直角に向かう風であった。すでに着桟に備え船首、船尾に
それぞれタグを取っていたので、直ちに風に逆らう方向に引き方Fullを開始、
本船は見る見るうちに C4停泊船に近づいていったがタグによる制動力が
効き、更なる接近を食い止めることが出来た。

 その頃、風と共に雨が強烈になり視野が妨げられ始めた。
  C4のすぐ前の本船のバースC3までわずかに300メートルの距離で
あったが 全て視野から消えた。
  風の強さは最高25m/sまで達した。
  本船の船首も霞んできた。この間タグの制動力を100%発揮させる為
本船の行脚を殺し,  万一に備え両舷錨スタンバイとし、耐え忍ぶこと
10数分、やっと着桟可能なレベルまで 風が凪いできたので着桟作業に入った。

 当時本船予定バースC3のすぐ前のバースC2にはパイロットC氏が
すでに総トン数 13,000トンのコンテナ船出港のため乗船し、C3着桟完了を
待っていた。
  C3入港船が見えてきたので出港スタンバイをかけ、船尾、船首
シングルアップの オーダーをかけようとしていた。
 ところが急に風の様子がおかしくなってきたので、シングルアップせずに
しばらく様子を 見ることとした。
 パイロットB氏、C氏ともに賢明な措置であったと思います。

 この日も、日本気象協会から取り寄せている地域別、時刻別の風予報では
このように 強い予報はありませんでした。
 翌日の朝刊を見ると、17日の同じ時刻に近畿地方はあちこちで大雨が
降り、局地的豪雨 による浸水、鉄道の運休が報じられていた。
 風による被害のニュースは見られなかったが。。。

 その中で、目を引いたのが国道171号が国道2号にクロスする西宮のこと。
  171号を日頃から利用している皆様は良くご存知と思いますが、171号が
JRの下を くぐるところは、付近の路面よりも約3メートル低くなっており、
今回もあっという間に 水かさが1.5メートルとなった。

  あそこは常時信号3回待ちがざらであるところ。
  今回もあそこで信号待ちしていた車から慌てて脱出した人が多勢いた
とのこと。
  あそこは水はけが非常に悪いのです。
  こんな時、咄嗟に車はやりっぱなして逃げ出さ なければ水没して命を
失うことにもなりかねません。

 171号をご利用の皆様、大雨の時はあそこは避けて通りましょう。
 余談を含め、本日も長文になってしまいました。失礼しました。。。
 以上、大阪港からの発信(99-05)でした。
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海,港そして仕事船を大切にしておられる皆様へ

 平成11年10月19日
 大阪港からの発信です(99-06)。

 inabaです。。。
 本日のテーマは「菱垣廻船に魂を奪われて。。。」です。

 菱垣廻船の実験帆走以来、多くの方々から「海洋博物館のメインの展示物
になる菱垣廻船とは一体何なのだ??」「もっと詳しく知りたいが??」
との問い合わせもメールで届いて参りました。

 菱垣廻船については、本年の6月8日でしたか、セーリングヨット研究会に
所属している、ある先生から次ぎのご紹介をメールで頂きました。

>過日、当方から和船の再建工事が進行中であるが、海上試験の見通しは立っ
>ていないとの情報を流しましたが、セーリングヨット研究会を中心とした有
>志の運動と多くの人々の協力によって、事業主である大阪市も、実船実験=
>再建した菱垣廻船による帆走試験実施の英断を下しました。
>和船の帆走能力が実船実験により解明されると期待されています。
>6/1 付朝日新聞にカラー写真入りで大きく報道されたので、ご存知の方もお
>られることでしょう。

 7月17日に初めて「菱垣廻船」の姿を目にしました。
 大阪は南港OZ岸壁で一般公開された時です。
 人目見ただけで魂を奪われたようです。 
 言葉ではとても表現できない感動を受けました。
 その後は、下卑な??云い方ですが、「惚れた彼女(?)の全てを
知りたくなった!!」のです。

 7月25日には港湾局が一般の希望者の為に無料で提供してくださった
大型フェリーに乗る機会をえて、実験帆走する姿を観覧。
  この時は極めて短時間でしたが、実験帆走する「菱垣廻船」の姿
添付写真)は、実にすばらしいものでした。
 これだけでは飽きたらづ、あらためて港湾局にお願いして実験帆走が
終わりに近づいた7月30日当日のエスコートを担当したタグボートに終日
乗せていただく機会を得ました。
 そしてこころゆくまで帆走する彼女の雄姿を写真に撮り収めました。

 江戸時代の物資輸送の立役者であった復古帆船の「菱垣廻船」(船名浪華丸)。
いよいよ大阪市海洋博物館「なにわの海の時空館」予定地に10月24日(日)に
搬入されます。
 このあと、本年11月第1週に巨大なドームの搬入が予定されております。
 巨大なドーム(海洋博物館全体を覆うもの)等の据付が全て完了するまで、
船を覆っている防火カバーのため、中身を覗くことは出来ませんが。。。

 この「菱垣廻船」に付きましては、本年6月頃より関西地方を中心とした
新聞報道、大阪市港湾局の各種パンフレット、大阪港振興協会にて隔月発行
している雑誌「大阪港」(1999年January 第50巻1号)さらには東京大学にて
開設されております「菱垣廻船のホームページ」
   URL:http://bills.iis.u-tokyo.ac.jp/higaki/
におきまして、いろいろと紹介されております。

 これらの資料で解ったことは。。。
1.江戸時代天下の台所として栄えた大阪が大量の消費地となった江戸へ、
 米や酒、油、木綿、砂糖、醤油から金物類、木材を載せて航海した。
2.復古帆船の基本図面は国立国会図書館蔵の「千石積菱垣廻船弐十分の一図」
 とした。
  今回の復元建造工事は、可能な限り当時の材料と工法を用い、かつ実際の
 船匠によって実物大で復元する。
  この基本図面の船が活躍した時とは、今から約200年前すなわち18世紀後半
 のもの。 
3.建造にあたっては、材料、工具ともすべて当時と同じものを使用した。
4.この種の建造を実際に担当する船匠は全国的に生存している人数も
 限られているし、後継者はいない。
  今がラストチャンスである。
  実際に作業に携わった船匠の平均年齢は66歳であった。
5.実験帆走を行うことにより、当時の菱垣廻船の帆走性能(実際のスピード、
 風に対してどれだけのぼれたか?等々)が明らかにされる。
  そして歴史上「不明確な」部分が解明される。
6.本船「浪華丸」のサイズは、
  全長29.4メートル、船幅7.4メートル、深さ2.4メートル、
 帆柱の長さ約27メートル、帆の大きさは18mX20m、荷物の積載可能量は
 千石積ですので1000x0.15トン=150重量トンとなりましょう。

 おおむね以上のことが解ったのですが、これだけではとても私の「好奇心」を
満たしてくれるものとはなりませんでした。
 
 その後、大阪市港湾局企画振興課あるいは大阪城天守閣博物館のアドバイスを
頂ました。
 私が求める情報は、大阪市中央図書館にあるとのことでした。
 図書館にて資料・文献を捜しましたところ、多くのことがわかりました。

 「菱垣廻船と天下の台所・大阪の役割(仮称)」というテーマで本年11月末を
目標にホームページに詳細を掲載する準備を致しております。

 ホームページに掲載する内容は、概ね次ぎの事柄です。

1.菱垣廻船はいつ始まり、最盛期はいつで、どのようなものであったか?
 またいつ頃終焉を迎えたのか?その理由は?
2.これが栄えた要因は?動機は?それ以前の日本の海上輸送はどのようなもの
 であったのか?
3.天下の台所としての大阪の役割は、江戸に人口集中が始まってから一層
 大きくなったと思われるが、菱垣廻船と天下の台所大阪を揺るぎ無いものとした
 立役者は誰か??
4.500以上の船舶の建造禁止、船舶の構造の規制など当時の鎖国政策のなかで、
 菱垣廻船はどのような構造上の影響を受けているのか?
 また、菱垣廻船の運航上の特徴は何であったのか??

 ここ(配信メール)では上記の3.菱垣廻船と天下の台所大阪を揺るぎ無い
ものとした立役者河村瑞賢について、そのさわりの部分を、簡単にご紹介
致します。

・13歳で天職を求めて江戸へ出る(1630年)。
  車力を仕事としており、車力十兵衛と呼ばれた。
  その後材木業、土建業を始め、実績を積んだ。
  1657年(明暦3年)明暦の大火(江戸の大火)に際し、木曾にいち早く赴き、
 材木の買占めをやり、巨万の富を手に入れた。江戸の大火の後、江戸に人口の
 集中が顕著になる。
  江戸の大火で焼け落ちた江戸城本丸、二の丸の修復なども手がけ、当時の
 幕府から絶大な信用を得る。

・1699年(元禄12年)、82歳で没するまでの間に、彼は色々な分野で歴史上に
 残る事業を成し遂げたが、なかでも特に有名なものは、「奥羽海運の革新」と
 「畿内の治水」であるとされています。
  ともに「菱垣廻船と天下の台所・大阪の確固たる確立」を語る上で、極めて
 重要な事柄でしょう。
  詳しくはホームページでご紹介致しますが、ここでは菱垣廻船発展の重要な
 側面であります「奥羽海運の革新」についてのみ簡単にご紹介致します。

・奥羽海運の革新と瑞賢
  江戸の人口急増とともに、当初は幕府の直轄領での御城米すなわち
 天領の産米数万石を江戸に輸送するもこが急務となり、ここで幕府は
 瑞賢を起用した(1670年)。
  それまでも各藩の領主米など、江戸への輸送があったが、量的にはわずか
 であり、輸送の経路・航路も迅速性、安全性、経済性において合理性を欠く
 ものであったようです。
  ここで瑞賢がやったことは、
 1.積み出しから江戸への搬入にいたるまでの航路事情の詳細な調査、
  地理的な調査、気象の調査 
 2.堅牢な船の確保、海域情報に詳しい船員、質の高い船員の確保
 3.各種規制の緩和、利益平等の原則、幕府の保護を与える、無駄な経費の
節減等を基本として、幕府に「運航計画書」を提出。
   1672年(寛文12年)までには「東回り航路」及び「西回り航路」が確立された。
   この過程で、気象上の安全面、補給面などから寄港地が定められたこと、
  あるいは陸上の「関所」に相当する「船番所」が設けられ、各地で各藩の保護を
  得られたこと。
   さらに寄港地にては「立務所」が設けられ、船の立ち入り検査、
  難破船その他の海難が生じた場合の原因調査、対策、さらには共同海損の
取り扱い方まで行われた。

  「東廻り航路」では、それ以前は宮城県仙台の南、阿武隈川の河口荒浜に
集結船積みされた天領の産米は海路茨城県の利根川を遡り、江戸に搬入する
方法がとられていた。
   それをダイレクトに江戸湾に向けることを可能とする種種の方策がとられた。

 「西廻り航路」では、それ以前は、北陸、東北諸藩の物資を畿内に輸送する
ルートは多くが日本海沿岸を西航して越前の敦賀、あるいは若狭の国小浜に
陸揚げ、陸路琵琶湖の北岸より琵琶湖の水運により琵琶湖の大津に達し、
そのあと陸路京都、大坂に輸送されていた。
  又江戸への物資の輸送の多くが日本海を北上し、津軽海峡をわたって
江戸に輸送されていた。
  この航路は当時の船にとっては安全面から極めて厳しい環境であった。
 視界不良、時化などで江戸まで無事にたどり着く歩留まりは悪かった
ようである。
  1672年瑞賢が幕府から命を受けて確立した輸送方法は、出羽の国
(秋田県・山形県)の御城米を最上川の河口の酒田に集積、海路下関廻りで
瀬戸内海を経由して大坂に入る方法であった。
  距離は遥かに遠くなったが、かえって時間の短縮になるとともに、コスト面、
 商品の状態等、すこぶるよろしく高い評価となった。

  菱垣廻船のスタートは、文献によると「1619年(元和5年)和泉の国堺の
 商人が紀伊の国富田浦の250石積みの廻船を借り受け、大坂から江戸へ
生活物資を輸送したことにはじまる。」とされている。
  一方1627年に菱垣廻船問屋5軒(船問屋であり、所有船のほか船を
 タイムチャーターして支配下においている問屋。荷主からは運賃をもらう
現在の海運の原型といってよいのでは?)の成立。
  現在の船のオペレーター組合とか海運同盟みたいなものとおもわれる。
 
  これに対して荷主側の組織(現在で云えば商社の共通運賃同盟の組織?)
である「江戸十組問屋」の成立は、1694年(元禄7年)であり、これの成立を
きっかけに菱垣廻船の全盛期を迎える。
 
  最盛期の菱垣廻船の数は年間延べ航海数で大坂から江戸まで1300艘が
就航している(最盛期1700年から1703年までの3年間の年間平均)。
  1艘の廻船で年間5仕建(往復)として当時の廻船実数は260隻になる。
  所要日数は早いので10日、おそいので2ヶ月程であったとの記録がある。
  平均では27日との記録がある。

  ここでいう菱垣廻船とは従来からの西国からの貨物を大坂経由で江戸に
 輸送するものは勿論、北陸東北の荷物を西廻り航路で大坂経由ダイレクトに
 江戸に向かうものも含まれる。
 奥羽海運と瑞賢のかかわりは、以上のとおりです。

  瑞賢が果たした役割は、巨大な人口・消費地になった江戸へ安定的に
 消費物資を輸送する為、菱垣廻船が十二分に機能する環境を早い時期に
整備したことにありましょう。
  また、当然のことながら、全国からものすごい量の物資が大坂に移入し、
 それらを順調に船積みさせるには港の整備が不可欠でした。
  これまた幕府の命令で瑞賢が「畿内の治水」に大きな役割を演ずる
わけですが、これに付いてはホームページでご紹介致します。

  最後に「菱垣廻船と天下の台所・大坂の役割」を調べるのに利用させて
 いただいた文献の数はかなりの数になりました。
  本来はここでもご紹介致さねばならないことですが、紙面の都合上、
 11月末掲載を目標としておりますホームページの中でご紹介させて
頂きたくご了承下さいませ。

  菱垣廻船の建造は、約3年前大阪市により、海洋博物館のメイン
展示物として決定されたものとのことです。
  豊臣時代から江戸時代に亘って「天下の台所」として栄えた大阪に
最もふさわしい文化遺産であるとも云えましょう。
  2000年夏に開館予定となっております。

 本日も又、長文となってしまいました。
 ご多忙中の方には、あらためてお詫び申し上げます。
                            稲葉でした。。。

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