平成11年(99-07から99-11までの配信メー ル)
 

平成11年11月13日

inabaです。。。。
本日も、また長文になりました。
こ多忙中の皆様!!はじめから深くお詫び申し上げます。
このテーマは、3年ほど前から、心に温めてきたものです。
ご容赦下さいませ。

「大阪からの発信です(99-07)。」

 拝啓 曽根綾子さま

 「港の危機管理」などと偉い方が書く論文調の表現は
苦手ですので、「関西へのエネルギーロードは大丈夫か??」
といった表現で、関西圏のエネルギーの大部分を供給している
大阪は堺泉北港へのエネルギーロード「浜寺航路の安全」
について日頃考えていることを書かせていただきます。

 心から尊敬申し上げております曽根綾子さまに、この メールが
私の信ずる神様経由で届きますよう祈っております。。。

 日本国にとって極めて大切なエネルギーを運び込む大 切な
路(みち)「マラッカ海峡」の安全確保についてはは、常々
紙面に出てまいります。
 このマラッカ海峡を通って日本に運び込まれるエネルギーが
関西圏では大阪湾内にある堺泉北港に集中して
陸揚げされています。

 すなわち堺泉北港浜寺泊地であり、そこには日本の大 手の
ほとんどのエネルギー精製会社がコンビナートを形成していま す。

 この泊地内を一般の人が陸側から覗き見ることはほと んど
不可能、猫の子一匹もぐりこめないほどのガードの固さです。
 泊地を取り囲む各企業への入口は関係者以外は通行不可能
であるから。。。
 赤軍派も、いかなるゲリラも入れません。
 陸上側から見る限り、セキューリティーは万全のようです。

 しかしながら、海側から見た場合のセキューリティー は
如何なものか??
 あまりにも無防備と云えないでしょうか??
 私どもは日常、海側からばかりこの辺のコンビナート群を
見ております。

 それでは、能書きは後にして、まずは日本海事新聞の
ご厚意により、約2年前の平成9年10月2日付け本誌中の 「路(みち)」
に掲載させていただきました写真及び説明文をご覧下さいま せ。
 写真は エルエヌジーヴェスタ 105,708 GTの着桟直前のものです。
 

   「 関西国際空港の北東方15キロメートル。ここに関西の
  エネルギーロード、泉北・浜寺航路の入口がある。
   幅300メートル、全長6,800メートルの航路が沖 合に延び、
  大阪湾内随一の航路長を誇っている。
   航路内の水深はマイナス16メートルと堀割の如く深く
  掘り下げられ、巨大船の入港を可能ならしめている。
  
   可航最大船型は16万総トン(26万重量トン)。
   全長330メートル、幅60メートル余りの巨大な原 油、
  重油タンカー、各家庭で使用している液化天然ガスを輸送 する
  LNG船など、関西で必要とするエネルギーの大部分がこ の航路を
  通って泉北・浜寺泊地に入ってくる。
    
   この写真は、浜寺航路の東側終点、浜寺関門より泊地に 入り、
  すぐ南側の大阪ガス第2工場第1バースに、まさに着桟し ようと
  しているLNG船「エルエヌジーヴェスタ」(全長272 メートル、
  幅47.2メートル105,708総トン)。
     桟橋の設計強度限界の接岸速度毎秒8センチメートル以下で
  接近しつつある瞬間のもので、操船するパイロットが最も 緊張する
  瞬間の1コマ。

   操船者の眼高は水面上40メートル。
   クリーンエネルギーの代表格であるLNGは、4個のア ルミ製球型
  タンク内に貯蔵され、マイナス160度の極超低温で輸送 管理される。
   タンク1個の直径は40メール、容積は32,000立 方メートル。
   合計125,000立方メートルのLNGは、約200 万所帯の1ヶ月分の
  消費量に相当する。」
          以上 海事新聞掲載時に、写真に添付し たものです。
 

 関西圏で使用されているエネルギー資源の何%が、こ こ浜寺泊地内
に運び込まれているのか?
 実際の数字を聞いたらビックリです。恐ろしくもなります。
 この11月中にここに入港してくるLNG船の数は、7隻も あります。
 7隻もです。さらにVLCC原油船、LPG船など毎日ひっ きりなしに
入ってきます。

 これらが我々関西圏で生活している人の生活を支えて おります。
 「危機管理はどうなっているか??」などと言えば、「難し くて」
 解りにくいですが。。。
 ただ単純に、万一、この浜寺航路が何らかの理由で一時的に でも
使用不能となった場合、人々のライフラインは壊滅しま す。。。

 ひとびとは、「せめて毎日温かいお風呂に入りた い。」あるいは
「温かいお味噌汁がのみたい。」 この極めて素朴な願いが
脅かされます。
 前段でお知らせしましたように、この大切な基地「浜寺泊 地」の
海側の無防備さは心配でなりません。

 この航路を使用する総トン数1万トン以上の船舶は、 あらかじめ
浜寺信号所に通報する義務があります。
 また、同じく総トン数1万トン以上の船舶は、入港に際し
法の定めにより、パイロットを乗せ、船長に替わって本船の
操船をさせるように決められております。

 現状では、それ以外の船舶は、何らの規制なく「航路 の使用」
及び「泊地内を自由に闊歩」が出来ます。
 誰も咎めることが出来ません。法律上も。。。
 
 大阪港の南港、本港におきましても、毎日のように見うけら れる
光景ですが。。。
 総トン数1万トン未満の水先強制船ではない船舶が、
海図ももたず、自分のバースもわからぬままに、港内を
動き回っていることがあります。
 だれも咎めることは出来ません。
 彼らとて「明らかな違法行為」さえなければ、自由にどこに でも
行けるのです。
 自分の家の中に他人が許可無く自由に入って来れるのです。

 事故さえなければ罰せられることがないのです。。
 周囲に、いくら迷惑をかけてもです。
 堺泉北港にても同じ事が云えますが。。。
 
 「関西の重要な生命線であるエネルギーロードの確保」の
意味からいえば、意味合いは大きく異なります。

 目をつぶって、情景をごイメージして下さいませ。

 曽根様は、現在航路の延長6,800メートトルの浜 寺航路を
港内に向け、船の長さ340メートルの標準的なサイズの
VLCC原油船の入港操船をしているパイロットです。
 航路の途中で、トランシーバーに次ぎのメッセージが
突然入ってきました。

 「パイロット曽根さん。こちら〇〇保安局××です。
 ただいま浜寺航路に機雷を数個入れたとの情報が
入りました。
 直ちに航路外に出てください。
 緊急連絡です。。。」

 急にそんなこといわれても。。。
 航路の幅は300メートル。
 航路内は「掘割り」です。
 川の幅より長さの長い船を方向転換しようにも、両岸に
つっかえて駄目です。
 方向転換できなければ船を停めて、バックするしかありませ ん。
 
 車ならばバックは簡単!!ですがこれはでかーい船です。
 このVLCCのデッキの広さは、甲子園球場のグランドの広 さと
同じです。
 一回に運ぶ原油の量は、なんと260,000重量トン。
 この量のイメージはとても難しいですね。。。
 ごく一般的な現在のコンテナ船(箱入り貨物を運ぶ船です) は、
20トントラック5,000台分の重さの荷物を運びます。
 これがトータル100,000重量トンです。
 これなら解りやすいですね。。。

 260,000重量トンの重さは、このコンテナ船の 2.6倍の重さを
運びます。
 いったん動き出した船を停めるだけでも大変です。

  船の場合は、エンジンストップしただけでは、例え それが
ゆっくり進んでいた港内速力からでもエンジンストップ後、
さらに4,000メートルも進みます。

 それでは間に合いません。泊地内に入ってしまいま す。。。
 しからばと、エンジンを逆回転させて早く停める努力をしま しょう。
 船はスクリューを逆回転させると、船首方向が変化します。
 大きく後進をかけると、その変化が急激になります。

 航路幅が制限される航路内では、これをやりすぎると 掘割の
両岸にぶつかります。
 なんとか上手に後進回転をかけられたとしても、2,000 メートルは
進むでしょう。
 それでも何とか機雷に触れずに、船を止めることができまし た。
 ご苦労様でした。。曽根さま。。。

 さあ、この後どうするか??身動きがとれません ね。。。
 しかしまだ大丈夫ですよ。曽根綾子パイロットさん!!
 まだ、どこに機雷が入っているのかが解りません。
 ここまでは無事でした。

 これから、3,000メートルもバックして新たな危 険にであうより、
機雷の場所が判明するまで、ここに停止して待ちましょう。
 タグボート6隻は全部繋ぎましたので大丈夫ですよ。
 投錨は、機雷の上に落とすかも知れないのでやめましょう。

 曽根綾子さま。。。。。。
 大変ご無礼申し上げました。
 国籍不明の船舶が、あるいは日本の漁船をシージャックした
「不貞の輩が」機雷を浜寺航路内にばらまくことなど、いとも
簡単な現状なのです。

 日本全国の大切なエネルギーの供給港、関門ではどこ か?
中国・四国地方では内海のどこか?
中部地方では?関東では?北陸東北では?
さらに北海道では??
 それぞれの地方には、少なくとも必ず一つは、エネルギー供 給の
大切な港があるはずです。

 国民の皆様に「温かい味噌汁を食べさせる為」
「温かいお風呂にいれさせるため」の危機管理に多くの
費用は要りません。

 机上の空論で「経済波及効果」をまことしやかに歌い 上げ、
要らぬ出費を果てしなく続けることよりも、結果的には、
「無駄な出費が節約できた!!」という真に大きな
成果が得られます。

 国民にとって、非常に大切な港へのエネルギーロー ド、
安全なアプローチを確保しましょう。 
 転ばぬ先の杖。。。。です。。。
 アメリカのように国防上から、「猫の子一匹許可なしには、
勝手に港には入れないぞ!!」
とまでの要望ではありません。
 風呂のガス、味噌汁を作るエネルギーを安全に確保して
欲しいだけです。

 曽根様!!多忙を極める毎日と。。。。
 お察し申し上げます。
 このように大切な港湾のことをよく知ってる者を数名を従え て、
飛行機で日本中を空から視察してくださいませ。

 曽根様は、文部省の民間人出身の文教委員としても、
ご活躍されていました。
 また、国防上の問題を提議する大切な委員会の
メンバーでもあると思います。

 わたしたち、海で働くすべての人々は皆、曽根様に エールを
送りつづけております。
 曽根様には、必ずや「可能なこと」と信じております。
 エネルギー基地の「海側の警備」は、あまりにも手薄で す。。。

 大阪港からの発信(99-07)でした。
 

 なお、今回添付ファイル致しま した写真は
ホームページの目次の1.
「大阪港、堺泉北港における港内操船中の船舶写真・合計30 枚」
の中の、グループ2にある1枚です。
 添付ファイルがご覧頂けない場合は、HPのものをご覧下さ いませ。
 HPの方はカラーですので。。。そちらの方が。。。

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平成11年11月21日(日)
 大阪港からの発信です(99-08)。

 海、港そして仕事船を大切にしておられる皆様方へ

 長い暑さからやっと開放されたとの思いもつかの間、
 はや紅葉の季節になりました。
 みなさまいかがお過ごしでしょうか。。。
 稲葉です。。。

 前回の配信メール(99-07)に対しまして、多く の方々が
 ご感想お寄せ下さいました。
 ありがとうございます。

 99-07配信直後、次ぎのご指摘を数名の方から頂 きました。

 「拝啓 曽根綾子さま」は「拝啓 曽野綾子さま」の 「間違い」では??
とのご指摘でした。

 これは間違いではございません。。。

 つまり、恐れ多くも「神様経由」とは云え、実在の著 名な作家でもあり、
私が敬愛しております曽野綾子さまに、「お願い事」みたいな ものを
パイロットという組織の一員でもあります私個人が直接行える 立場では
ありません。
 また、そのようなご無礼は私にはできません。

 曽根綾子様は、私の、もう一つの世界であります「仮 想現実の世界」で、
緊急事態発生時に浜寺航路でVLCCの操船をされた方です。
 そのお方が「曽根綾子さま」なのです。

 宛先を「どの様な表現」にするべきか?
 かなり前から思い悩んでおりました。
 皆様を混乱させる表現を用いたこと、深くお詫び申し上げま すとともに、
 苦渋の選択でしたこと、ご理解頂けますようお願い申し上げ ます。
 

 本日は、これも長い間、胸に秘めていた数多くの「何 故?」の中の
一つであります「学校教育の場で、忘れ去られた貿易立国な ど」です。

拝啓 曽根綾子 さま(その二)

 曽根さま!!

 現在の中学校、高等学校での社会科教育の問題点を指 摘できる立場では
ないこと、重々承知致しております。
 つい最近、二つの事件(?)に遭遇してからというもの無意 識のうちにも、
教科書への疑念が頭の中に住みついてしまっております。

 二つの事件(?)とは。。。まずは。。。
 本年3月高校卒業が目前となったある日の、末っ子の娘との 会話です。。。
 ヒョットするとヒョットするぞ???との思いから。。。

父:美穂!!チョットおいで!!
  (メモ用紙に「貿易立国」と書いて、娘に見せる)
  この字を中学か、高校の教科書で見たことあるか??

娘:(しばらくながめて)
  こんなの見たことないよ!!

父:それなら、この字は??
  「海洋国家」、「海からの多大な恩恵」これらはどう だ???

娘:イヤーッ!! ゼーンゼン!!

父:それなら、この字は??
  「海上における物資の輸送と国民経済とのかかわり」
  「。。。。。。」「。。。。。。」と、次ぎから次ぎへと
  ヤケクソで書き続ける。。。
 (次第に、字を書く手は震え、声も大きくなり、泣きたくな る。)

  突然、広沢虎蔵の浪花節?講談?「金毘羅代参?」 に出てくる
  「森の石松」の気持ちがよく解ってきたりして。。。
  泣きたくもなりますよねー。

娘:ゼーンゼン!! 命賭けるわー!!
  絶対に教科書に、そんな事は書かれてませーん!!

父:(このバカたれ娘!!サボってたに違いない!!)
  教科書残ってたら、ここに全部持って来い!!
  (やり場のない憤りとともに、やっぱりか!!との思いが
  複雑に交錯)

  解った!!もういいよ!!
  おまえ!!こんな事に命など賭けんでよいのだ!バカた れ!!
 (娘のやつ、よくも中学、高校の教科書を全部残しておいた なー!!
  などと、変なことに感心したりして。。。)
 (しらみつぶしに、全部の教科書に目を通しました が、、、、
 娘の言ったこと、間違いではありませんでした。)
 

 曽根さま!!
 こんなことって。。。あるんですか??
 日本人の価値観がそれほど急激に変わっちゃうなんて!!
 日本が置かれてる環境は何も変わっちゃいないと思うんです がねー!!
 これらの字句は学校教育の場では「もはや不要」と判断され て
 いるのですか??

 曽根さま!!
 これより前にも、あったのですよ!!
 おや!!これは、もしかしたら???が。

 昨年の夏休み、そうです。児童の夏休みです。

 神戸市港湾局が、私の写真20数枚を神戸海洋博物館 で
「水先人の撮った神戸港入出港操船中の船舶写真展」との
タイトルで写真展をして下さった時の事件(?)です。

 人が最も入っていると思われる日曜日に行ってみたの ですが。。。
 博物館自体に来ている人もまばらでした。
 館内の最も素敵な場所での展示でした。

 私の写真の所に立ち止まる人などほとんど皆無。
 1時間近く、近くで様子を見ていたら、小学校3,4年生の 女の子を
連れた若い母親が展示写真の側を通りました。

 その女の子が写真の一枚を見て云いました。

 「お母さん!!これもお船なの??」
 お母さんは答えました。
 「そーね!!お船でしょうね!!」
 女の子、再び独り言???
 「ずいぶん汚いお船ね!!」
 母親は、ただ一言。
 「そーね」

 寂しい限りでした。 
 この女の子が写真から受けた印象のことではありませ ん。。。
 折角、子供を海洋博物館に連れて来たのに。。。
 社会勉強の良い機会を子供に提供しておきながら、
船に目をとめた少女に「適切な説明」という大切な教材を
提供できなかった母親。

 この母親の「関心のなさ?」を寂しく思っただけでな く、
 母親自身が学校で受けた「教育の歪み?」が感じられたので す。
 考え過ぎですかね??考え過ぎでしょうね。。。

 今の時代に生きてる皆さんは、皆忙しすぎるのでしょ うね??
 街中には、これでもか、これでもかというほど刺激が溢れ、 物が溢れ
それらに対して、いちいち感動したり、感心を示したりしてい たら
身が持たないのでしょうか?

 よく聞く話題ですが、今の子供達は何事にもあまり感 心を持たない
子が多くなったとか、感動しなくなったとか云われてますよ ね??
 可愛そうですね!何事にも感動できないなんて。。。
 何故、こうなっちゃったのですかね。。

 私など、毎日毎晩感動しまくり、また好奇心がとどま るところを知らず、
溢れ出てくるのですが。。。 
 
 展示致しました合計20枚余り(半切ワイドサイズ)の写真 の中では、
 私が一番「気合が入って」撮った写真です。

 5万トンのコンテナ船、1974年建造の古いやつ で、錆だらけ!!
ゾクゾクするほど魅力的でした。
 よく25年間もよく頑張ってくれたね!!
 ありがとさん!!との言葉が思わず口から出そうな。。。

  だから、所属する海運会社の関西支店長に
 「わざわざ、古い船を写真展に使用する」許可をとりまし た。
 「ごめんね!!」と謝りもしました。
 

 写真展といえば。。。曽根さま。。。
 海と船にかかわる仕事を始めて、今日まで40年近くになる のですが。。。
 この間に、「海や船の写真展」に、20回ぐらいは足を運ん でいるのですが。。
 被写体はほとんど変わりませんね。。。
 ほとんどは、客船です。 
 次ぎに帆船、フェリーの順番ですね。。。
 
 主催は海事広報関係、港湾局がほとんどだと思います が、、、
 海や港のPRは、このような船でなければいけないのでしょ うか??
 このような実態ですから、国民の皆様は、港や沿岸を埋めつ くしている
 他の95%の仕事船のことを、いくら宣伝しても、どなたも 聞いて
くれないのですよ。

 皆様のイメージでは、船や海は「あこがれの対象」 「美しきもの」でなければ、
 身体が、拒否するのでしょうか。。
 認めようとしないのですよ。。。

 私が仕事船の話を始めると皆さん私の周りからいなく なるのですよ。。。
 私の家族も。。。です。
  私だけが変わり者なのでしょうか???

  あるとき、息子に自分のホームページのトップペー ジに使う写真を
 選ばせたのです。
  部屋一杯に、数十枚の写真を広げて、どれを使ったら良い かと。。。
  2枚だけ、客船と帆船の写真を隅っこに置いておいたので すが、

 息子曰く。「その2枚のどちらかだ!!」でした。  「やはり」でした。
 息子も極めて「常識的な」選択をしました。

  それでも最近は少しずつ「希望の明かり」が見えて きました。
 国民の皆様の恐らく99.9%の皆様が、仕事船の写真など 見向きもしない
事にはあまり変わりはないのですが。。。

 この3年間に下記団体の皆様方から素敵なチャンスを 頂きました。
 たくさん、たくさん応援をいただきました。

 神戸市港湾局の皆様ありがとうございました。
 大阪市港湾局の皆様ありがとうございました。
 日本海事新聞の皆様ありがとうございました。
 日本航海学会の皆様ありがとうございました。
 日本海事広報協会の皆様ありがとうございました。

 お蔭様で、挫折感を克服することが出来ました。
 皆様方は、私に不屈の闘志を与えてくださいました。
 この場をお借りして、あらためて御礼申し上げます。

 曽根様!!
  ここだけの話ですが。。。
  内緒ですよ!!
  日本海事広報協会の雑誌「ラ・メール」というのは、
 「海の旅を楽しんでおられる方の為の雑誌」あるいは、
 「海との戯れを楽しむ人のための雑誌」とばかり思っていた のですが。。。
  今回の特集「海で働く船特集」というのをやるとのこと で、
  私にもお声をかけてくださいました。

  これには「跳びあがらんばかりに!!」ビックリ致 しました。
 日本海事広報協会に何か異変でも起こったのではないか と。。。
 まさか??夢ではないか??と。

  このところ何年間も胸に秘めていたことの全てを書 かせ
 ていただきました。
  有頂天になっちゃいました。。年甲斐もなく。。
  小学生が展覧会で「特賞」をもらったような気持ちでし た。
  喜ぶ余り、たくさん買いこみまして、あちこちにお配りし ました。
  多くが「仕事船の世界」でご活躍されてる団体・個人宛 に。。。

   そしたら、やっぱり、私と同じ反応をされた方が 多かったです。
   「稲葉さんよ。。あそこでこのような記事を掲載するこ とがあるのか??」
   あるいは、「こんな雑誌があったのか??」とかです。
   仕事船の世界では、この雑誌はあまり読まれてないよう ですね??
 
 曽根さま!!
  今のことは秘密ですよ??絶対にあそこには内緒です よ!!
  なんといっても、この私に、極めて大切なチャンスを与え て
 くださったんですから。。。
  大切な団体です。
 
 こんなこと云ってるのがばれてしまったら、2度と再びお声 を
 かけてくれないようになってしまいますから。。。
  どうぞよろしく内密にお願い。。。

  超ご多忙な曽根さまに読んでいただくお時間はない かと存じますが
 添付ファイルでお送りさせていただきます。
  お恥ずかしい限りの拙文ですが、私の執念だけは、ご理解 頂けます
 ことを願っております。

    以上。大阪港からの発信(99-08)でし た。

 なお、添付ファイルの写真は、雑誌 「ラ・メール」に掲載致しました
 合計12枚の写真の内の1枚です。
  ファイルサイズの関係で、今回もモノクロでお送り致しま す。
 Jpeg圧縮(高圧縮、低画質)にて、296kbのもの を、21.3kbに圧縮して
 お送り致します。

  なお、写真付属の説明文は。。。
 「 本船の前を行く同行船はNO PILOT船。自船の前 は何も居ないのに 
 ゆっくりと、のんびりの 一人旅を決め込む。
  自分の後方にはたくさんの入港船で詰まっているの に。。。
  後ろも見てよ。。。」です。
 

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 海、港そして仕事船を大切にしておられる皆様方へ

平成11年11月25日(木)
大阪港からの発信です(99-09)。
 
 稲葉です。。。
 配信メール(99-07):「エネルギー基地(海側の無防 備)」、および
(99-08):「社会科教科書と海事」につきましては、色 々なご意見を
お寄せ頂きまして誠にありがとうございました。

 本日は、(99-07)に関して、お寄せ頂きました ご批判、ご感想の
いくつかを簡単にご紹介致します。

1.地下鉄サリン事件のようなものは、再発防止など出 来ぬこと。
  所詮組織的なゲリラを防ぐ方法はない。
2.お前は、ゲリラを具体的にどのようにしたら防げると思っ ているのか?
3.不景気な時に、金のかかる話は、駄目だぜ。。
4.通常考えられないことまで心配するな!!
5.お前のは、いつも長すぎる。おれたちゃ暇人ではないの だ。
  もっと簡単に書け!!

 お寄せ頂きましたご意見の全てがNegativeと いうわけでは
ありませんが。。。
 いずれにしましても、大変嬉しいことです。。。
 皆様の中に、野球で云えばホームベース上での真剣な討論に
参加(外野席からの参加でなく)して下さる方が意外にに多 かったこと。
 大変嬉しく感じました。
 ほんとにありがとうございました。

 これらのご批判、ご感想に対する「新たな議論の展 開」は
後段で繋ぐ事として、本日は(99-07)関連。。。。。
「外国港湾で実際に体験した状況は??」を
配信させていただきます。
 

 海上暦32年のうち、最後の20年間、つまり一等航 海士、
あるいは船長時代に「外国港湾」で実際に体験致しました
「諸外国の安全に対する取り組む姿勢」の一端をご紹介致しま す。

その一:
 昭和49年秋。4万トンクラスの(当時は中型タンカー?) の一等航海士で
原油の揚げ荷の為、北米に向かった。
 当時、USコーストガードの油濁防止規則ができたてのほや ほやの時、
(現在の國際海洋汚染防止規則の生みの親か??)
 新しい規則がスタートして、当社ではトップバッターでの入 港であった。

 入港と同時にコーストガードの検査官が2名乗船。
1.(甲板部関係)出来たての新しい規則の条文を各条毎に、 逐一
 こちらが知っているかどうかの口頭試問。
 前条終了まで約2時間。
 検査官自体がまだ新しい規則に精通していなかったが、
 タンカーの設備には実に詳しく、感心しました。
2.次ぎに甲板部関係の現場廻り、設備のチェックに1時間。
3.次ぎに機関部関係条文の口頭試問に2時間。
4.機関部関係の現場廻りと設備のチェックに1時間。
以上ですでに6時間が経過。

この後、記録簿の作成と現認書の作成に1時間。
最後に船長が書類に署名して終了。

船長がサインした現認書内容の要点
1.次回の北米港のいずれかに入港する時までに
 必要とする設備の改善又は改良 合計10件
2.次回のドライドック時に改良又は増設すべき設備 
 合計6件

 次ぎの航海は、北米の別の港であったが、入港時検査 官は、
同じ書類(署名入り現認書を含め)を持参。
 改善・改良が間違い無く行われているかどうかを厳格に調べ た。
 ここで、違反が発覚すれば、罰金、又は船舶の差し押さえ。

その二:
 昭和60年台前半。自動車専用船に船長で乗船中。
 欧州よりオーストラリアに入港。検査官2名乗船。
 航海安全の為に必要なあらゆる書類のチェック、
設備のチェックが行われた。
 航海日誌に必要な記録がなされているかどうか?
 あらゆる書類の有効期間のチェック。
 救命ボートの設備の外見チェック、ボートの揚げ降ろしテス ト実施。
 船内にある全部で10数個の泡沫式持ち運び式消火器の有効 期間
のチェック。
 海図の保有状況、改補状況のチェック。
 航海機器の性能チェック。
全てが終了するまでに3時間を要した。

 なお、本件と同様の検査が、欧米の各港で程度の差こ そあれ、
毎航必ず行われること、皆様ご既承のとおりです。

その三:
  昭和60年当時。船長で北米各港を就航中、Los  Angeleseの
沖合いで 不意にUSコーストガードのヘリコプターが
どこからとも無く本船上空に飛来。
 馬鹿でかいスピーカー音で「針路を南西にとって、全速力で 走れ!!」
ときた。
 当時の本船は陸岸に向け東進してました。

 同時にVHF16チャンネルで同じ事を指示された。
 そして「行く先はどこだ??」と聞かれて、答えると
「おれの飛び去る方向に針路を取って、その港に向かえ!!」
と誰何された。

 入港してコーストガードの尋問で、本船の違反の内容 が判明した。
全く新しい航行警報がコーストガードから出されており、本船 は
航泊禁止区域に突っ込んでいたことが判明。

 この時は「しっかりと謝罪する」だけで堪忍してくれ たが、
 「次回はチャンと警報を事前に入手しておけ!!」と怒られ た。

 他人の家に入るには、その家の規則を守らにゃいか ん!!
 他国の港に入るには、その国が定めた規則を守らにゃいか ん!!

 日本の港にNo Pilotで入るなら、日本の港則 法およびその施行規則、
さらには海上交通安全法等を知っておくことはもとより、航路 管制官と
VHFで必要な交信をする為に必要な日本語は知っておくべき では?? 

 北米各港でのUSコーストガードのやってることは極 めて
当たり前のことです。

 それでは、ドイツのハンブルグ港での「強制パイロッ ト」の規則は
どうか??

 ドイツでは。。。。
 危険物積載船、1,000総トン以上の船舶は強制、
 No Pilotにて入港できるのは3,000総トンまで の危険物積載船
及び5,000総トンまでの船舶で船長がドイツ語に堪能であ り、
かつ2ヶ月以内に6回以上入港した者に限る。

(危険物積載船については、外国船であるかどうかに拘 わらず、
1,000総トン以上のすべてを強制とする厳しい姿勢で取り 組んで
いることが解ります。当然のことと思いますが。。。。) 

 港内外での操船で、最も大切なのは「航行管制をつか さどるところとの
コミュニケーション、さらには他の船舶とのコミュニケーショ ンであること」
云うまでもありません。
 日本に来るNo Pilot船の船長は、日本語どころか、 英語でVHFで
呼び出しかけているのに、返事が期待できない。

 「VHF聴取義務」は最も基本的な國際規則の筈。
 呼び出されても答えないのは「聴取義務違反ではない の???」
 日本でのみ許されてるのかなー???

 ドイツの規則は「至極ごもっともなもの」と思われま すが。。。

 それでは、皆様から寄せられました、ご意見ご批判に 対して、
私も論議に参画させていただきます。

 ご意見、ご批判の1.2.3.に対しては、まとめて 私の考えを
お聞き下さいませ。。。

(ケース1.)
 私が船長時代に、退職前の3隻はすべてLNG船でした。
1隻は新潟の北陸電力及びガス会社に運ぶもの。他の1隻は、
伊勢湾の中部電力、東邦ガスに運ぶもの。

最後の1隻が大阪湾内浜寺泊地内の大阪ガス(関西電力 使用を含む)
向けでした。
 そうです、今回配信メールでお伝えしております浜寺航路を
必ず通ります。
 ある日の事。
 航路の入り口外側のパイロット乗船地点では、風の強さは
さほどではなかった。
 パイロットを乗船させ、浜寺航路(長さ6,800メート ル)の途中まで
来た時に、急に南の風が強くなってきた。
 車と異なり、船は南の風(すなわち右真横の風で、
横滑りしますので、その分、針路を数度調整・加減します。

 さらには横滑りの影響を和らげるため、速力を若干上 げます。
 浜寺航路の幅は300メートルで掘割となっており、航路の 途中から
航路外に逃げ出すことは出来ません。
 本船の長さは272メートル。
 方向転換も出来ません。

 Buoy No.9/No.10付近を通過中でした から、すでに
,浜寺航路の管制信号は、特殊信号(赤3閃、白3閃の繰り返 し。)
になっておりました。
 この信号の意味は、「港長の指示を受けた船舶以外の船舶 は、
入出港してはならない」です。

 つまり私の船、LNG船以外の船はここを使用しては ならないのです。
 したがってパイロットボートですら、航路の使用は禁止され ております。 
 ところがです。。。。
(添付の写真ご参照下さい。)
 このあたりで、突然右方向から500トン程度の小型の船舶 が
「とろとろ」と航路の中に入ろうとしているではありません か。。。

 本船の前方1,000付近の至近距離でした。
 幸い本船前方で航路警戒についている警戒船(LNG船の通 行時に
のみつけられる。VLCCには付かない。)の懸命の努力によ り、
航路内に入るのを阻止できましたが、慌てました。。。

 このようなことは日常茶飯事ですが。。。
 彼らは信号で航路が管制されていることなど知りません。
 まして見渡す限りの大海原で、本船が通れる水路幅がわずか に
300メートルしかない事など、彼らは知るよしも無しです。

 これらの通航阻害船が操漁中の漁船である場合もかな りあります。
 この場合も、警戒船からの懸命な「お願い!!」により、投 入した漁網の
引き揚げをして頂きます。

 この場合に、パイロットおよび船長である私が考える ことは、
漁網をまき揚げるには時間もかかるだろうこと。
 本船の速力を下げ、すでに本船に係止している4隻のタグ ボート全隻に
制動準備をさせ、さらには投錨の準備をします。
 ここで考えておかねばならないことは。。。
(1)風の強い時に速力を落とすと流され方が大きくなる。
(2)本船の残速があるのに、いきなり船を停める為に投錨な どすると
  錨鎖の根付けが吹っ飛びます。
   その際のショックで船は横を向き、掘割の横壁に激突す るでしょう。
(3)エンジンを後進に入れられる程度になるまでは、相当な 時間が
 かかります。 簡単に後進は使えません。後進には入りませ ん。
(4)網を入れてる漁船は身動きが取れない状況です。
  人命尊重は、「海上における人命安全のための國際条約」 で
  定められた何事にも優先さるべき道徳です。
   操漁中の漁船に激突したら、人身事故になります。

(ケース:2)
 船長として最後の仕事。これもLNG船でした。
 平成3年5月の事でした。
 大阪湾に入り、船は堺泉北港の大阪ガスに向かいました。
 レーダーを覗くと、大阪湾全面に「いかなご漁業が展開され ておりました。
 それこそ本船LNG船を通す「針の穴が見つからない状況で した」
 このとき、パイロットさんがおっしゃいました。
「キャプテン!!工事中の関西空港寄りに走りましょう。
 あそこにはわずかですが通れる穴があるのです。」

 私は答えました。ただ一言「お願いします」
 さすがに日頃の経験から大阪湾パイロットさんは「穴場」を
ご存知でした。

 「オーイ!!」と船から叫べば、空港工事の人の耳に 届くかと
思われる距離まで接近して、なんとか穴を通りました。
 その後が又大変でした。

 関空からま浜寺航路の入口のパイロット交代地点まで わずかに
7.5マイルでしたが「いかなご漁業ぎっしり!!」で、どう 見ても通り穴は
ありそうに見えません。
 少なくとも船長の私には。。。

 するとまた、大阪湾パイロットさんが静かに、私に言 いました。
 全く落ち着いた声でした。
 全然慌てていませんでした。
 「神戸の第三航路の近くに行ってみましょう。
 遠回りになりますので到着時間は少し延びますが、あそこま での
コースは少し「空きが」あるようですので。。。
 また、あそこから浜寺に向かうコースは大丈夫と思いま す。」

 私は答えました。
 ただ一言。「どうぞよろしくお願い致します!!」
 関空沖合いから神戸の第三航路に向かうコースは
北北西、その後浜寺に向かうのにコースは南東です。
 到着は予定より、約20分送れましたが。。。。
 このような苦労を、どれだけやっても当事者以外は
どなたも知りません。

 遅れた理由の説明を求められるだけですね。。。
 説明しても、ご理解頂けたかどうかは極めて疑問です。

問題点は、VLCCとか、LNG船の安全通航を阻害す る船舶に対して
公的機関が教育・指導をするにも、あるいは海上の現場におい て
取締りをやるにも、現状では限度があるのでしょう。
 
 予算措置をとるにも国会の認証が必要です。
 国民の皆様の強力なバックアップが無ければ、国民の皆様の
大きな声が出てこなければ、「いくら我々が吼えても!!」通 じません。
効果は期待できません。予算など取れません。

  慣れない言葉を使ってで恐縮ですが。。。
 現状では、「誠の大儀」が国を動かしているとは思えません から。。
 運輸関係議員より、農林水産族議員の方が遥かに、力が
強いそうですね。。。

 大切なエネルギーロードの安全を守ることより、生活 権でもある
先祖伝来の漁場を守るとする大儀も大切です。
 「海運は後から海面利用に来た新入り」です。確かに。。。

 何とか妥協点は見出せないのでしょうか。。。
 例えば、大切なエネルギー供給港においては、PSCのレベ ルを
欧米並にするとか、、大阪湾の広域いかなご漁場において、
LNG船やVLCCの「針の穴の通り道」でもチャント作って もらえない
でしょうか??
 内海パイロットさんは、やはり広域漁業である「こませ網漁 業で
多大なご苦労を強いられております。
 これら全てが諸外国では考えられないレベルの「ひどさ」な のです。

 私の子供3人とも中学・高校では「海の大切さのこ と」など
何も習ってないし、そのような話題は学校では聞いたことも
ないとのことです。

 「海事の啓蒙」などとほざいてみたところで、それこ そ
「天に向かって唾を吐く行為」にしか過ぎませんが。。。
 このままでは、死んでも死にきれない。。。ですね。

 日本の港に入ってくる外航船の95%は外国人船長で す。
 日本沿岸を走る約1週間は、ほとんど眠れないとの事です。
大阪港を含め、日本の港に入ってきた時の船長さんの顔は
皆疲れきっています。

 沿岸航行中は、小型船の多さ、漁船との付き合いで、
怖くて怖くてとても眠れないとの事です。
 昼間は昼まで入港すると仕事のお客さんがたくさんこられま すので、
短い時間の停泊では、これまた眠る時間はありません。

 皆様、外国船の船長さんに聞いてみてください。。。
 同じ海運先進国と言われながら、欧米の沿岸・港内外と
日本とは何が違うのか??

 いつも私は「怒られ役」です。
 「私の前でガス抜きする程度で、船長さんのストレスがいく らかでも
軽減されるなら、船長さん!!いくらでもガス抜きやってくだ さいませ。
 「どうしてお前達パイロットは黙っているのか??」と。

 今のところ、彼らを説得できる「無法・無頼・混雑・ 漁船・No Pilotの
大儀」は見つかりません。 悔しい限りです。。。
 でも、船長さん!!ほんとにご苦労様です!!

 以上の通り、長々と御託(?)を並べましたが、皆様 からのご意見に
対する補足のつもりです。

 「赤軍派やゲリラ」を使いましたが、これは単なる、 表現手法として
「Curiousity」を強調する手段に用いただけです。

 そのような大げさな事でなく、日常毎日見られる「不 合理」や
「運航阻害」をなんとか、改善できる手段を皆様ともども考え て
いきたいとの思いなのです。

 前段でも申し上げましたが、予算措置は「国民の強力 なバックアップ」
が無ければ難しいと存じます。
 逆にそのご理解が得られれば、「国際的に当たり前の常識」 を求めて
いるわけですから、国力の限界を超えているとも思えません し、
「必ずや可能なことと!!」信じてます。

 当然時間がかかりますが。。。
 恐らく生きている間には難しいでしょうが。。。
 後輩に、あるいは後世に良いものを!!
 外国から後ろ指を指されない程度の良いものを残す為の努力 は、
まさに「やりがいのある事」と考えてます。

 最後になりました。。。
 先だって、「放射能漏れ!!事故」やら、「新幹線事故」が
新聞をにぎわせている頃、一人の友人、安全を真剣に
考えておられる一人の友人から、次ぎの日経の記事が
メールで入りました。

11月8日(月)日経新聞の記事の事です。

 その友人の感想も含めて、全文ご紹介致します。
 
 昨8日(月)の日経朝刊の記事を思い出しました。
 それは、「日本は米国を知っているか」という、一橋大学の 武石さん
の記事です。
 少し長いですが非常に示唆に富んでいると感じました。

 米国型のグローバルスタンダードにならうべきか、日 本独自の
システムを維持すべきか。
 日本経済の再生策をめぐって活発な論議がなされている。
 そうした議論の前提になるのは、米国型システムとは
そもそもどの様なものなのか、日本とどう違い、
何が優れているのか、その背景は何か、といった問題に
ついての理解である。

 だが、はたして我々は十分理解しているだろうか、、
 外国から学ぶ事は日本のお家芸であるともいわれている。
 (中略)
 しかし、実は、他国を分析する努力において、米国より見劣 り
がするのである。
 米国が日本の分析にどのように取り組んでいるか、例えば、
大学における産業研究の取り組みである。

 マサチューセッツ工科大学、ハーヴァード大学では、 80年代
から自動車産業の国際比較研究を続け、日本の自動車産業
の優れた点を明らかにした。
 この研究メンバーの中には日本人研究者をも積極的に登用し
日本の理解を含めていった。

 ひるがえって日本の状況はどうか。
 周りには米国の情報があふれているが、それは、受身の
情報収集に過ぎない。

 米国が日本を研究したように我々も米国を研究する必 要がある。
 米国のシステムそのものではなく、他者を分析し、そこから
学ぶ努力においてこそ、米国から学ぶべきである。

 時間はかかるが、まずは腰をすえて外国を研究する仕 組みを
作りなおしていく必要がある。

 以上が一橋大学の武石さんの掲載記事です。との事で した。
 我々も含めて、足元を見つめなおす良い機会と思います。

 最後の最後になりましたが。。。最後のテーマであ る。。。
「お前のはいつも長すぎる!!そしてくどい!!」
「あれたちゃ暇人ではないのだ。。もっと簡単にや れ。。!!」

 まさにおっしゃる通りです。。。
 これは皆さん!!私は死ぬまで直りません。。。
 私の性分ですから。。。
 「肩振り」は自分のペースでやらせて頂かないと
全く面白くないのです。

 皆様も、とくに「お酒を」こよなく愛する方々 が。。。
「飲みやさんで!!」飲み仲間同士で同じような事をやってる では
ありませんか???
 皆様はお互いに、酩酊なさってるから、おわかりになってな いと
思いますが。。
 時間が経つにつれて、「同じ話を何回も!!」やってます よ。
 
 私は親譲りの体質で「生まれつき」アルコールは一滴も
駄目なのです。
 したがって、飲み屋さんは大嫌い。。それでも「付き合い」 で
行く事がありますが。。。私は常に「ウーロン茶」か「ジュー ス」だけで
2時間近く我慢してます。
 その間に、全くうんざりするほど同じ話を繰り返しておりま すよ。。。
 お酒をこよなく愛してらっしゃる皆様方は。。。

 それを聞いてる酔っ払いも面白いですね。。。
 何回も聞いているのに「まるではじめて聞くように」うなず いて、
感心してばかリです。
 あれも私に劣らず大したものですよ。。。

 そうそう!!
 またまた思い出しました。。
船の「肩振り」のこと。
 英国人の船長も同じ事を云ってましたよ。。。
 英国人の船長と5回ほど乗り合わせた時の事です。
 私のその船での立場は、Cargo Supervisor (略して
Supercargo)でした。

 当時の当社は、たくさんの自社船を運航していたほ か、
定期用船(船も船員もそっくり一定期間借り受けて運航する 事)
の外国用船をも多量に動かしておりました。

 当社のCargoを積んでいるわけであり、目的地ま でCargoに
ダメージが発生しないように、また当社持ちの燃料が
むやみやたらと使われないように、当社のお目付け役として
これらの用船に私が乗り組むわけです。

 一航海丸ごとラウンドで乗ったり、片道だけ乗ったり
色々ありました。

 停泊中は、荷役の監督で結構忙しいのですが。。。
航海中は乗り組み員ではありませんので、時々船倉にもぐって
貨物の点検をするぐらいで比較的暇でした。

 これらの船には、当時は船長のみ英国人が使われてい ました。
他のクルーは、航海士、機関士を含め、全てが東南アジア系の
混成部隊で4カ国くらいの人が乗っていました。

 これらの船の船長は、あまり他の乗り組み員とは心を 開いて
「肩振り」をする事はありませんでした。
 これが英国人の長年の歴史で培われた「植民地政策のコツ」
なのでしょうか??
 上手に乗り組み員をバランス良く管理していました。
 しかし私には、自分の全てをさらけ出すのです。
 乗り組みでないから、安心するのでしょうね。。。
 航海中は、少なくて1日10時間もです。。。
 
 暇さえあれば、私の部屋に来て「大肩振り」を始めるので す。
私も負けるほどの饒舌ぶりでした。
 ある時、私は彼に云いました。
「俺が、お前のややこしい早口のScotish  Englishをどの程度
理解できていると思っているのだ!!」と。。。

 彼は答えました。
「そんなのどうでも良い事だが、お前の顔を見てれば解る さ!!
お前は、60%は理解しているようだ。十分さ!!」との事。

 私は、再び彼に云いました。
「いやいや、その早さでは、せいぜい40%さ!! お前!!
日本の港で話す時と同じスピードで話せよ!!
そうすれば80%は理解できると思うのだが。。。」

 私が言い終わらぬうちに、彼は私の話を遮りました。
 「Capt. Inabaさん!!肩振りというのはだ なー。
 自分のペースで話すから面白いのだ!!

 だから夢中で話せるのだよ。。
 日本で話すようにゆっくりしゃべると、かえって欲求不満に
なってしまうよ。
 そんなんじゃ、わざわざこの部屋にはこねーよ!!

 寝てもさめても、寝言でも、この頃の私は、こいつに 文句ばかり
云ってましたが。。。英語で。。。夢でも。。。
 実に愉快なScotishでした。

 こいつは、話が自分に不利になると、いつも
「日本人は、開戦布告せずに、真珠湾をやりやがった!!」
が必ず出てくる。

 私も負けずに。。。
「お前の国は、泥棒だよなー!!
大英博物館にあるのは、世界中から強奪してきた盗品ばかり じゃ
ねーか!!」とやり返す。。。

 こいつの身体は、馬鹿でかく、体重54キロの私の2 倍はありました。
 腹の立つヤツでしたが、にくめん男でした。

 こんな生活が、約3年間ありました。
 昭和59年頃の話です。
 当時は当社の持ち船も多かったが、船長も多く、当時すでに 船長の
社内辞令は出ていましたが、いわゆる「空き待ち」期間でし た。

 今から思えば、良い経験でした。。。
 やはり、英国人も「肩振り」は自分のペースでやらにゃー面 白く
ないんだそうです。
 悪しからずご了承願います。。。

以上大阪港からの発信(99-09)でした。
 

最近は、「港や沿岸の安全を不貞の輩から守ろう」、
さらには「教科書は海事の啓蒙に大切ですよ!!」の2点を、
ライフワークにする事で「善がって」おります稲葉でし た。。。

 なお、添付の写真は、ともに浜寺航路に入る手前1マ イル手前
付近のものです。

 本日の配信メールに相応しいのでは??と思って
添付致しました。次ぎの2枚です。
VLCC  「Sabang」 153,644GT浜寺航路入航、(ゼネラル石油バースへ)
LNG   「アルワックラ」 111,124GT  ”   (大阪ガス第2工場第1バースへ)

 次回は話題を変えて。。。。
 私達、操船を業とする者達が、自分の「右腕以上のもの」
「我が分身」とさえ考えているタグボートのことを、少々のエ ピソードを
交えてお伝え致します。。。

 

  ホームページ「海と船の写真展」URL:
  http://inaba228.sakura.ne.jp/
  E-mail,   mm2y-inb@asahi-net.or.jp
 
 

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海、港そして仕事船を大切にしておられる皆様へ

平成11年12月6日
大阪港からの発信です(99-10)。

 今回は、タグボートについてお話させていただく予定 でしたが、
チョット別の話を挟ませていただきます。

 本日のテーマは、「危険があって当たり前の世界」で す。

 一週間ほど前でしたか?いつもの通り、パイロット ボートに乗って、
港外にきた入港船に、もう一人のパイロットと共に向かってい た時の
ことです。 午後の1時ごろでした。。。
 
 不意にというか、突然というか相棒のパイロットAさん曰 く。
 「稲葉さんは水に濡れたら困る物を仕事バッグに入れてます か?」
と聞く。
 「そおねー。。トランシーバーと双眼鏡だな。。それにカメ ラを時々
入れているが。。。
 そりゃー安物の中古品だから、どーってことはないです が。。」と
答える。

 さらには「着替えはセットで事務所に置いています か??」とか。。。
 いきなりAさん。。何を云おうとしていたのか?と一瞬
「いぶかしげに」思う。
 「トランシーバや双眼鏡は商売道具だからねー!!
濡れてもしょうがないですねー!!」
と独り言を云いながら、「それではお先に!!」といいつつ、
自分の仕事船に乗る為にパイロットボートの船室から出た。

 その時は、何のことをAさんが云おうとしていたのか サッパリ
解らず、そのまま私の仕事船が見えてきたころには、頭から消 えた。
 後刻事務所に戻ってきたら、テーブルの上にAさんの
「海中転落」の簡単なレポートが目に入りました。

 ここ2日間、年休をとって休んでいましたので、その レポートを
見ていなかった.。
 パイロットAさんが海中転落した日は、当直日だったそうで す。
 当直班とそうでない班との違いは、扱う船の数が多いか少な いか
になります。

 海中転落はこのような事でした。
 Aさんは港外に停泊していた5万トンクラスの
大型コンテナ船に乗船する際に海中転落したそうです。
 商売柄か???
 ただ海中に転落しただけで、怪我もなければ、この世界では
あまりニュースにもなりません。。
 いろいろと悪条件が重なれば、けっこうありますね。。
 海中転落!!程度でしたら。。。
 せいぜい幕下力士が土俵下に投げ飛ばされた!!程度の
話題でしょうか?

 Aさんが海中転落!!
「Aさんよ!!落ちたらしいな!!何時のことだ??」
「水は冷たくなってたかい??」  
「いや!!まだそれほどでもなかった。。」
「怪我せんでよかったなー」
「まあな!!」。。。。てな会話で終わってしまう。。
 
 でも紙一重ですね!!
 地獄は、すぐ側で大きな口を開けて待ってます。
 海中転落の時刻は1640頃でした。
 まだ、日没少し前で、周囲は幾分明るさが残っていた。。

 もしもその時。。。
 もしも転落時刻が、もう30分遅かったら。。。周囲は真っ 暗。。。
 もしも、停泊船でなく、直行船(ダイレクトオンバース船) だったら。。
 もしも、風邪の強さが、あと5メートル強かったら。。
 もしも、うねりの高さが、あと50センチ高かったら。。。
 もしも、海中で「あせって!!」、体力を消耗し尽くした ら。。。

 「神の存在」「神のなせるワザ」に対して、常に敬虔 な気持ちで
対峙していること。
 全国のパイロットの皆様が、例外なく毎年一回は、金毘羅さ んや、
住吉さんにお参りにゆくこと、ごく自然な行動なのだろうと 思ってます。。
だれに強制されるわけでもなく。。。自然にそちらに足が向か う。。。

 何かを「お願いに!!」ではなく、1年間無事に仕事 が出来た事を
神に「感謝する!!」ために。。。
 北西の季節風が吹き荒れる季節到来。。。です。
 皆様!!「ふんどし」を締め直して安全に!!

 Aさんの話。。。
 空を掴んでから、ドボーンまでの滞空時間は、想像していた より
長く感じたそうです。
 またスカイダイバーが飛行機から飛び降りるような姿勢で
あったとのことです。

 海中転落のあとのAさんの行動が、また奮っていま す、というか
彼らしいのです。
 このAさんのことを日頃から私は「怪物」、「化け物」ある いは
「ジャンボOOXX」などと呼んでます。
 でかい男です。私の倍はあります。ヨコタテともに。。。

 この「怪物」は、海中から本船乗り組みに対して舷梯 を水中まで
下げるように大声で指示を出しました。

 最初はパイロットボートに上がろうと考えたそうです が、見上げると
日頃小さく見えるパイロットボートのデッキの高さがかなり高 く、
自力では到底無理!!
 まして怪物の体重ではボートの乗り組み2名ではとても引き 揚げは
困難と判断。

 本船の舷梯に乗っかる方が早いと考えたこと。正解で した..
もしもこの時、無我夢中で遮二無二ボートに戻ろうとあがいて いたら、
力尽きてしまうこと十分に考えられます。

 水中まで下ろされた本船の舷梯に上がったAさんは、 そのまま船橋まで
のぼり、全く普段と変わらぬ仕草で本船のきょう導を始めた。
 船橋にいた船長はじめ、他の乗組員がビックリした様(さ ま)想像に難く
ありません。

 どの様に声をかけたら良いのか窮したそうです。で しょうね。。。
 仁王様のようにでかい!!彼が立つ船橋中央部は見る見るう ちに大きな
水溜りができたそうです。馬鹿でかい身体に巻きついた衣類か ら滴り落ちる
水の量も相当なものだった事でしょう。

 入港操船中、本人は海中転落には一切触れずに、本船 着桟までの
1時間あまり、終始平然としていたそうです。
 Aさんにとっては、これが当日の2隻目の仕事であり、当日 はこの後
事務所に戻って着替えをし、さらに2隻の入出港操船を最後ま でやり遂げて、
夜中の12時ごろ、当日の最後の仕事を終了し、帰宅したとの こと。
 強靭なスタミナの持ち主でありましょう。

 彼は真冬でも滅多に防寒着は身につけてません。。。
 余談ですが、この時怪物さんが履いていたサイズ29センチ のデカ靴、
幸い(?)脱げずにそのまま足にくっついていた。
 ポケットに入れていた小銭もそのままあった。
 財布もそのまま残ってた。
 トランシーバーのみ使用不能となり、パイロットボート保有 の
予備の物を揚げてもらって使用したとのこと。

 私でしたら、恐らくトランシーバーで別のパイロット を回して
もらって、一旦事務所に戻り、着替えをするでしょうね。。。
とりあえずは。。。
 私は、この怪物さんとは異なり、生まれついての低血圧で、
典型的な虚弱体質??ですから。。。
 真冬ではありませんが、風に当たると水濡れの衣類を纏った
ままでは寒くて寒くて。。風邪を引きますね。。肺炎に も。。。

 パイロットという商売(?)、特に本船乗下船が、最 も危険な
瞬間である事、誰でも当然承知しております。
 見習で実習中から頭に叩き込まれます。
 こんな時、「片手は自分の為、もう一方の手は仕事の為」に
存在します。

 乗下船時, パイロットボートから本船に、あるいは 本船から
パイロットボートに乗り移る時、風の向き、強さ、あるいはう ねりの
方向、うねりの高さ。昼か、夜か等々を注意深く考えながら、
「100%安全」の確信のもと、動作を開始するのです が。。。

 1万回に1回の確立であっても、起こるときは起こ る。
確率の問題ではありません。
 起こった場合の確率は100%だと思いますが。。。

 相手は大自然ですから。。。
 なかなか一瞬先の変化を読むのは難しいのです。
 事故後の批評は、どなたにでも出来ます。
 答案用紙に書かせたら、誰でも万点でしょう。
 皆様、仕事船扱いの職人であると同時に「時化の海での乗下 船の
テクニック」においてもプロでしょう。

 パイロット。。。。全国で800名ぐらいおります か??
 皆さん長い間には、乗下船時に、何回か「アクロバットせざ るを
得なかった。」ご経験がおありだと思いますね。
 各湾のベイパイロット、各港のハーバーパイロット、それに
瀬戸内海の内海パイロット。
 皆さんが毎日、安全には細心の注意を払って日夜業務を行っ て
いますが。。。
 「自分だけは絶対に大丈夫!!」は無い。。。
 
 パイロットを含め、船方さんの毎日は、「不気味な危険」と
隣り合わせの生活ですので、安全にはことさら敏感です。
 したがって、危険な山登りや無謀とも思える外洋での
ヨットクルージングを楽しむなどという方は皆無のはず。

 また、外国の治安の悪さは知りすぎるほどよくご存知 です。
 近頃の若い女性が、「チョット、夜の銀ブラ」のつもりで、
無防備で外国に出かけますが、出かける前に、是非
「船方さんのOBにアドバイスを求めてください。」
 お役に立ちますよ!!
 又話が横道にそれました。

 私もこれまで7年間で3,300隻余りの仕事船の入 出港操船を
やりました。
 沖で乗るか、沖で下りるか、いずれにしても1隻1回は危険 を
伴う動作を、他のパイロット同様「当たり前」として
やっています。

 毎年冬場の季節風が吹き始めると、「三途の川」を見 る機会が
多くなるのです。
 勿論見たくて見に行くわけではありませんが。。。
 冬場は何時死んでもおかしくありません。。。
 「これで当たり前」の仕事なのです。。。
 自分の意思で飛び込んだ世界です。
 世の中には、このような現場はたくさんありますね。。。
 
  私達「ハーバー」は、まだ「ましな方」です。
 各湾の入り口(外海)で乗下船されるベイパイロットさん は、
それこそ、毎回が命がけですね。。。
 皆様、何気なく、こともなく、何もなかったような顔して
「当たり前のこと」を平然とこなしてはおりますが。。。

 死亡事故には至らぬまでも、海中転落、大怪我、結構 あるのですよ。。。
 いくら細心の注意をしていてもです。
 ただの「海中転落」だけでは、ニュースとしては出てきませ んが。。。。
 この世界では。。。他の世界でも結構ありますよ。。。。
 事故は「付き物」という世界。。。。

 現場も現場。「トビ職」これって、いろいろあるので すって。。
 極めつきは本四架橋建設などのいわゆる橋梁架設で見た「ト ビ職」。

 プロ中のプロは全国で10数人しかいないそうです ね?? 
 いつでしたかテレビで紹介されてました。
 この仕事、最初の1本目のワイヤーを渡す時が勝負とか。。
 そして建設でにぎやかになった頃は、もう別の現場での
仕事を始めるのだそうです。
 日本国中の最初の危険な作業は、これら同じメンバーで
やってるようですね。。。プロ中のプロにしか出来ない仕事。

 あちこちの建設現場で働く足場を組む職人も似たり 寄ったりでは
ないでしょうか。
 工事が軌道に乗ったら自分の使命は終わるそうです。
 工事完成の華やかな場面をのぞくことはありません。
 共通点は、「危険が伴って当たり前!!」。

 考えてみれば、彼らも「三途の川の入り口」を毎日
見ているそうです。
 家族の皆様もいつでも覚悟は出来てるそうです。
 私達の生活、船乗り時代も含めて、約40年の「船方」の生 活、
 それに、かつての「炭坑」の生活。類似点が多いです。

 そうした気風(いちいちギャギャー騒がない!!)に
慣らされているように見うけられます。
 これって「悲しき性(さが)」というのでしょうか??
 傍から見ると仰天するような事でも、廻りで「騒ぐ」と
先輩によく叱られます。

 ギャーギャー騒ぐな!!おれたちゃこれでめし食わせ て
もらってんだーと。
 平穏無事ならパイロットなぞ要らんのだ!!
 いろいろあるからおれたちゃーめし食えてるのだ!!
 怖けりゃ、さっさと辞めちまえ!!

 船方の世界同様、全国のパイロットさんみな同じで す。

 一仕事終わって事務所に戻ってくる。
 事務所で自分の出番を待つ連中が、「お帰り!!」といっ て、
戻った仲間の顔をちらりと見る。
 「こりゃ何かあったな??」と思う。

 仕事バッグを置いてから、時化の中でどんな目にあっ たか?。
 不当運航するNo Pilot船にどのような目に合わされ たか?を、
誰に云うでもなく、静かに話す。

 気負いもなく静かに。。。。
 聞いてもらいたいわけでもない。
 独り言みたいにしゃべる事によって、気持ちの切り替えを
しているのでしょう。
 これ生活の知恵でしょうね。。。

 気分の転換を早くやらねば、次ぎの「商売?」に支障 が
出るのです。多いときで1日6、7隻ほどこなしますの で。。。
 廻りにいる連中も良く心得ています。
 「そうか。。。」「大変だったなー!!ご苦労さん!!」
この程度で反応するのを、やめとくのが「大切な友情」です。  

 職人はみな同じではないでしょうか。。。
 自分の成した仕事の反省には、ことさら厳しいようです。
 「そこまで考えなくとも!!」と思うくらいに。。。
 自分を追い詰めます。。。
 それで尚更、その後の気分転換のテクニックに、自分なりの 様々な
方法が編み出されているようです。
 自分なりの方法で。。。。

 話が又、わずかに横にそれました。
 私の大学のクラスメート、これまで3人も転落事故に遭遇し てます。
 死亡事故に至らなかったこと。運が良かった。。。運で す。。。

  一人は、ヤングオフィサーの時代に外国の港で貨物 船の深ーい
船倉内の底まで落ちた。
 命は取り留めたものの半身不随になったまま、今日に至る。

 もう一人はやはりヤングオフィサーの時代に、船倉下 に転落。
 大骨折はしたものの、こちらは幸い半身不随にもならず、現 在は
元気に、あるところのパイロットをしてます。
 私の大学卒業以来続いている仲の良い写真仲間の一人でもあ り、
季節の変わり目には、腰に多少の違和感があるとのことです が、
業務には全く支障なし。めでたしめでたしです。

 も一人はつい最近、やはりパイロットです。
 湾の入り口で海中転落。
 仕事船に乗るためにボートで接近中の事故です。
 同窓の親友の一人です。
 転落直後に、その船の直径6メートルもある馬鹿でかいスク リューの
鋼鉄の羽にに片足をたたかれ、大腿骨がボッキリ!!
 これ「開放骨折」と云って細菌などが入りこむと治療が
大変らしい。
 彼の場合も「開放骨折」で海水が骨に入って。。。
 手術が大変だったそうですが。。。

 入院生活、リハビリ等で7ヶ月ほど、仕事から離れて いましたが、
順調に完治。
 さる12月1日晴れて仕事に復帰されました。良かった。。 良かった。。

 余談ですが。。。
 入院中見舞いに来る気の置けない連中は、そろって
「お前!!運が良かったなー!!」というそうです。

 スクリューの「当たり場所」が万に一つの幸運な「場 所」であったこと。
あとすこし当たった場所がずれていたら、例え命は取り留めて も
「再起不能の不具者」になったそうです。

 私も見舞った時の最初の一言は、「お前!!運がよ かったなー!!」
でした。怪我をした本人自身、「えれー目にあった。。」とい うより
「もうけものだった!!」と思っているのではないかなー??
 同じ病室のほかの皆様は「おかしな世界の人たち??」と
思われた事でしょうね。。。

 最後に、海中転落事故の「悲しい出来事」を仏様に手 を
合わせてから、お伝え致します。 合掌。。。

 昨年の事でした。
 私の出身会社の幾分後輩の一人。
 西の方、九州のどこかの水先区を受験しました。
 約1年間の地獄の試験勉強(やや大げさですが、私の時は
そう思いました。)の後、
 晴れて運輸省の水先第1次筆記試験に合格しました。
 その後、水先実習生となり、そこの水先区での3ヶ月間の
実習が始まりました。

 プロの水先人に付いていき、実際の操船を見聞実習す るわけです。
 乗船か下船の際に、海中転落。行方不明。
 その後の3ヶ月にも及ぶ懸命の捜索にもかかわらず、発見で きず、
約3ヶ月後に、死体がなんと、200キロ程も離れた鹿児島沖 で
発見されたそうです。
 もう少しで、実習が終わり、最後の国家試験第2次に合格す れば、
晴れて水先人になれたのですが。。。。合掌。。。

 他のパイロットの皆さん同様、私は子供達に毎日
 「俺が無事に帰ってきたら神様に礼を云っとけ!!
 お父さんを無事に帰してくれてありがとうとな!!」と、
かれこれ30年も云いつづけております。口癖です。

 最近は大学生の末娘がこんな事を云います。
「お父さん!!私、いつ社会に放り出されても一人で生活でき る
自信が出来ました。」
 「だからお父さん!!もう何も思い残す事はありませんよ」
 「お父さんは安心して死ねますよ!!」などと冗談を!!

 幸か?不幸か?薬か効きすぎました。
 子供達3人ともサッパリ私に物をねだりません。。
 こんな子供達を思うとき、寂しく思うのは年なんで
しょうかね??
 あるいは、これも「船方の悲しき性」の成せるワザなので
しょうか???
 「元気で働けるだけ」で幸せと思わねばいけない
ご時世だとつくづく思います。

 余談を含め、本日も長文になりました。
 大阪港からの発信です(99-10)。
 本日は、「危険があって当たり前の世界」のお話でした。
 添付の写真はパイロッ トラダー(縄梯子)を昇っている
ところのものです。
 高いもので9メートルほど垂直に昇ります。
 本文とは、直接関係はありません。。

 最近(平成11年7月)始めました「大阪港からの発 信」の配信先は、
私のメールアドレス帖に記載のある方々の中から海事関係団 体・個人
さらには友人など200余名の方々にEメールにて配信致して おります。

  配信は月1回または2回程度で、なにかトピックが ありました場合に
発信致しております。
 なお、次回以降の配信は「不要」とのご連絡なければ続けて
配信させていただきます。

 また、お知り合いの方で、このような趣旨の「配信を ご希望の方」
おられましたら是非、ご紹介頂きたく、Eメールアドレスをお 知らせ
下さいますようお願い申し上げます。

 これまで配信致しましたメール(99-01)より (99-09)までの分で
未着信で入手ご希望のある方は、おっしゃってくださいま せ。。。
 なお、一昨日、これまでに配信致しましたもの、すべてホー ムページ
の方にも転載致しております。(写真は含まず) 

 また、「今後は配信不要」の方も、おっしゃってくだ さいませ。
 特に、会社のパソコンを利用して配信メールを受信されて
おられる方々、いろいろと規則、制約がおありと存じます。
 大変心苦しく思っております。
 どうか、ご遠慮なさらずに「ストップ・ザ・メール」の
オーダーを下さいませ。。。
 所属企業・団体に、いつまでもご迷惑をおかけするわけには
参りません。
 失礼致します。。。
                
 ホームページ「海と船の写真展」URL:
    http://inaba228.sakura.ne.jp/
  E-mail,   mm2y-inb@asahi-net.or.jp 
 

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海、港そして仕事 船を大切にしておられる皆様へ

大阪港から の発信です(99-11)

平成11年 12月14日
神戸ルミナリエ開 幕

 また1年 が経ちました。
 まばゆいばかり の”神戸の年の瀬”、ルミナリエが始まりました。
クリスマスまで続 きます。 
 震災年の平成7 年から始まり今年で5年目(5回目)になります。
人出は毎年増え続 け、毎年初日から三宮の路という路は人で
埋まっておりま す。

 開催初年 度の平成7年末は、街のあちこちには、瓦礫こそ
取り除かれてはい たものの、 主(あるじ)のいない空き地が
寒寒とした姿を見 せておりました。
  また当時は、ルミナリエを見に集まった人々も、
 現在 のように「お祭り気分で」見るのではなく、
まるで荘厳なミサ が、とりおこなわれる中で 神から与えられた
光のぬくもりを万 感の思いで感じとっているように見えました。

  その後3年間、毎年撮り続けましたが、
初年度の、胸を締 め付けられるような思いで見た「光の輝き」が
その後は次第に失 せてきたように感じました。
   1昨年からは撮りに出かけてはおりませんが。。。。

 ホーム ページに掲載いたしましたものは、第1回目の
平成7年(震災 年)のものです。
 来年の1月中旬 まで、掲載しておきます。

  当時は震災の傷跡が痛々しく残されている時で、
最も感傷的、感動 的な気持ちで”希望の光”を
貪るように撮り続 けました。 
  あえて初年度のもの9枚を掲載いたします。

  ご多忙な皆様、とてもご家族連れてのお出かけは厳しい
方が多いのではな いかと存じます。
 是非ホームペー ジにてご覧下さいませ。 

 そして皆 様に!!
 Merry Christmas and A Happy New Year

本日(12 月14日)の読売朝刊に、次ぎの紹介記事が
出ておりました。

 「復興5 年への光」
   阪神大震災の被災地の鎮魂と復興を願う「神戸ルミナリエ」
  (同実行委主催)が13日、神戸市中央区の三の宮、元町周辺
  で開催、集まった約5万5千人(主催者調べ)が荘厳な
  イ ルミネーションに酔いしれた。
   26日まで 午後6時(土、日、祝日 は同5時半)から
  同10時半に 点灯する。
   5回目の今年は「”Pure(ピュア)”な光の下で」をテーマに、
 再生や生命の新 しい歩みなどを6色約20万個の電球で表現。
   旧外国人居留地を東西に貫く通りには「天の川」をモチーフに
  270メートルの光の回廊ができ、人並みが続いた。

                 稲葉 八洲雄
                 (阪神パイロット)
 ホームページ 「海と船の写真展」URL:
 http://inaba228.sakura.ne.jp/
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