船の写真(Part2)
12. 「HANJIN VANCOUVER 35,746 GT」
日没時頃、赤く染まった西の空を背景に、大関門を次々に出港してゆく船の姿には、
30 余年の海の生活のすべてを思い起こさせる力がある。大関門の灯台の間、針路上に
陽 が沈む。出港船からパイロットボートに下船、帰路の途中で振り向いて撮る。
大阪港の築港計画には多くのオランダ人が招聘されている。西向に開口した大関門を
含 め、現在の大阪港の原型はオランダ人デレーテ(1873年から1903年まで30年間日本
に 滞在、港湾設計の分野で大きな貢献をした。)によるもので、明治27年(1894年)に築港
計 画図が完成した。そして本格的築港事業は明治30年(1897年)に開始されている。
日本海事新聞掲載時(H9.10.23付)の写真と説明文。
築港100周年、それは第2次大戦により形をとどめぬまでに壊滅した
大阪港の再築港、戦前戦後を通じ、他の主要港湾には例のない度重なる
台風・高潮による大水害など、戦いの鮮明な記録である。
これら苦難に果敢に立ち向かい、今日までにこぎつけた不屈のエネルギー
の源は、起工以来100年”商都大阪は港から”とする不変の志、さらには官民協力
のもと、一貫して市営港としての市主体の伝統を貫いてきたことにあろう。
北の中島川、南の大和川に挟まれたかっての河川内港・大阪港。港内には
正蓮寺川、安治川、尻無川、木津川の4本の川が流れ込み、常時港内には
土砂が運ばれてくる。
水深維持の為に浚渫
に要する莫大な出費は将来にわたり逃れる事ができない
宿命となっている。
昇る朝日を背に受けて内港航路を出港し、あるいはまた、大関門に沈みゆく
夕日に向かって出港してゆく船の操船者は市民に支えられた大阪港の不屈の
エネルギーを信じている。
写真は、日の出とともに右前方の港大橋が明るく浮かび上がり、入港船が
港外から大関門に向け、怒濤のごとく押し寄せる朝のラッシュアワーの様子を
撮影したもの。
大関門にさしかかっているのがコンテナ船「EVER
GENERAL」46,410GT,
その後から入港する多目的船「SEA
CRYSTAL」16,775GTなど。
大阪港の一日の始まりである。
14. 「尾州丸 100,295 GT」
大阪港、堺泉北港の冬季西風 の強さには定評があり、同じ大阪湾内でも
六甲山脈に防風、保護された神戸港とは気象条件が大きく異なる。西風に吹き
寄せられ波も高くなる。 大阪ガス第2工場第2LNGバースは、浜寺関門防波堤
の外側シーバース、冬季着桟ではタグ4隻すべて「引き」の姿勢で着桟させること
が多い。桟橋の設計強度限界は、接岸速度8cm/sなるも、波も考慮し、5cm/sを
目標とする。
自船は、EVER GLOWING 46,551 GT. 大関門を通過してバースまで2.8マイル、
進路は曲がりくねっており、途中に港大橋がある。これを起点に急角度80度右転して
すぐの所にバースがある。大阪港内は進路が曲がりくねっていること、奥が深いこと。
さらには、古来、河川内港といわれてきたように川が多く内航船が多いのが特徴で
あろう。
16. 「エルエヌジーヴェスタ 105,708 GT」
次の写真は操船するパイロットと船長
日本海事新聞掲載時(H9.10.2付)の写真と説明文。
関西国際空港の北東方15キロメートル。ここに関西のエネルギーロード、
泉北・浜寺航路の入口がある。幅300メートル。全長6,800メートルの航路が
沖合に延び、大阪湾内随一の航路長を誇っている。
航路内の水深はマイナス16メートルと堀割の如く深く掘り下げられ、巨大船の
入港を可能ならしめている。可航最大船型は16万総トン(26万重量トン)。
全長330メートル、幅60メートル余りの巨大な原油、重油タンカー、各家庭で使用
している液化天然ガスを輸送するLNG船など、関西で必要とするエネルギーの
大部分がこの航路を通って泉北・浜寺泊地に入ってくる。
この写真は、浜寺航路の東側終点、浜寺関門より泊地に入り、すぐ南側の大阪ガス
第2工場第1バースに、まさに着桟しようとしているLNG船「エルエヌジーヴェスタ」
(全長272メートル、幅47.2メートル105,708総トン)。
桟橋の設計強度限界の接岸速度毎秒8センチメートル以下で接近しつつある瞬間
のもので、操船するパイロットが最も緊張する瞬間の1コマ。操船者の眼高は水面上
40メートル。
クリーンエネルギーの代表格であるLNGは、4個のアルミ製球型タンク内に貯蔵
され、マイナス160度の極超低温で輸送管理される。タンク1個の直径は40メール、
容積は32,000立方メートル。合計125,000立方メートルのLNGは、約200万
所帯の1ヶ月分の消費量に相当する。
全長3.7マイルの浜寺航路を真 東に船を進め浜寺関門に辿り着き泊地に入る。
ここは、原油、重油、LPG、LNGなど、関西で使用するエネルギーの供給基地となって
いる。バースはすべて私設専用であり、一般の人々がのぞき見可能なのは、防波堤上
の釣り人ぐらいであろう。関門より2,200メートル直進、東燃ゼネ石原油桟橋に右舷着桟
する。
18. 「MUSASHI SPIRIT 153,642 GT」
浜寺泊地内ゼネラル石油原油桟 橋出港。バックは泊地北東部のコンビナート群で、
周辺にそびえ立つ巨大な煙突は総数約20本。このあたりは、高度成長期に埋立て完成
し、造られたもの。埋め立て地の奥行きは旧海岸線まで平均2,800メートルある。
いかつい巨大な船体も、ここでは違和感は無く、周辺と調和がとれている。防波堤外側に
ある大阪ガスLNG船シーバース着桟船船橋より撮る。
早朝の縦列入港に際し、適 当な船間距離を維持出来れば苦労は無いが、
道路交通と同じで、間に小型船が必ず割り込んでくる。この写真で中突沖合の
入港1番船はHANJIN BERLIN 66,403 GT , 2番船がARAFURA 37,902 GT,
第3番船の本船は、EVER REWARD 53,103 GT
20. 「TOHDOH 149,356 GT (ゼネ石入港)」
関西のエネルギーロード浜寺 航路。水深16 メートル、航路幅300メートル、
許容喫水14.5メートル、航路の全長(関門まで)6,800メートル。航路は堀割り
となっている。 関門よりバースまで2,200メートル、関門を5ノットで通過した。
当時は北寄りの風が14メートル程度で強かった。写真にすると、このサイズの船では、
浜寺関門は狭いように見える。空気の澄んでる日は左前方に生駒山系、右前方に
金剛山系がくっきりと見える。 VLCCの大きさを印象づけるように撮った。
自船は、EVER RENOWN 53,103 GT 大阪港におけるもう一つの難所、港大橋付近。
大阪港内で最も狭く、最も通航量の多い所。四つの異なった方向から船が集まり、見合う。
コンテナバースへは、橋を起点に80度屈曲しており、見合い関係を複雑にしている。
桁下高51メートル、本船はまだ3メートルの余裕があるが、接近に伴い、手を挙げれば
届きそうに見える。可航幅は、1L=300メートルなるもAIR DRAFT 大きい船の場合は
100メートル程度に狭まると考えねばならない。
C3バースから回頭出港。本船サイズでは2L回頭円確保は問題 ないが、
この前面海域は重要な通航路でもあり、船尾側に通航路を確保するため、
船首岸壁側のクリアランス50メートル程度で回頭出港する。
自船はEVER UNION 69,218 GT。冬季西風の吹送時間が長くなると高いうねりと波が
大関門からまともに入り、3,000メートル内側の中央突堤の岸壁上を洗うことにもなる。
また冬季はパイロットボートでの本船乗下船が困難になることがある。写真左手前
の入港船は、SATSUKI 14,084 GT,その後方の入港船は、EVER RENOWN 53,103 GT,
前方 の出港船は、MAERSK VANCOUVER 34,382 GT 。
24.「WORLD PROSPECT 143,942 GT」
泉北港・浜寺泊地 ゼネ石桟橋を離岸回頭し、浜寺関門に向かう。
出港時軽喫水であるため、船幅60メートルの本船船橋中央から見ると、
関門の幅300メートルが狭いように見える。この日は空気が比較的澄んで
おり右奥に明石大橋がわずかに見える。
25.「QUEEN ELIZABETH U 70,327 GT」
大阪港海遊館前の客船桟橋は、アプローチを含め豪華客船の入港 に相応しい
景観を誇っている。バースまで大関門より一直線で3,000メートルと周囲の光景の
すばらしさを楽しむ時間的ゆとりもある。進入路は、遠巻きに北港大橋、安治川大橋、
港大橋の3本の大橋で囲まれ、それらの内側には左岸は2008年夏季オリンピック
候補地として施設工事が進められ、右岸にはコスモタワー(WTC)、ATCなど人目を引く
建造物が建ち並ぶ。また、船首方向には驚異的な集客力を持続し続けている海遊館が
ある。