平成12年 (00-01より00-04 までの掲載)
 

平成12年1 月より、配信メールの内容は、「テーマ」及び
「内容の簡単なご紹 介」にとどめ、内容はホームページに
掲載するにとどめま す。

 職場で、職 場のパソコンを利用してプライベートな
インターネットの利 用をするにはには限度があります。
 このような方々へ 如何なる配慮をしたらよいか?
 昨年より苦慮して いたところです。

 さらに、発 信のタイトルを「海、港そして仕事船からの発信です」
に変えさせて頂きま す。
 
なお、ホームページ 記事の内容をプリントする事が困難な方等は、
目次内の「その他」 の中の(5)「プリントする方法について」を
ご参照下さい。

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平成 12年1月11日
「海、港そし て仕事船からの発信です(00-01)」

 本日は、ミ レニアム新春に最も相応しい
「曽野綾子さんのイ ンタビュー記事」を掲載させて頂きます。

昨年11月 14日配信メール(99-07)を、あるお方宛に
発信いたしました。
 その当日、たまた ま私の友人の一人から、発信直後に偶然
電話が入りました。  
 内容は。。。

「稲葉よ!! 今すぐに日刊スポーツ・芸能の下記Webサイトを
見てみろよ。
 お前の大好きな曽 野さんのインタビュー記事が!!

http://www.nikkansports.com/news/entert/entert-etc3/99/sun.html
 
 ここに、「日曜日 のインタビュー」があり、曽野綾子さんが
登場しているぞ!!
 すでに消えてし まったら、過去の来歴のところに残される筈だ。。
これまでの日曜日 ヒーロー&ヒローインの99年10月24日の
ところに出る筈で す。。。」

 掲載された のは、11月14日でした。
 この電話を受けた のが、(99-07)を発信した当日でした。
 不思議なことが起 こるものですね!!同じ日でした。
 この友人も、私と 同様に曽野綾子さんの大のファンだったの
でしょうね。
 勿論、大急ぎで DLして、ディスクに保存しておきました。

 このお方 は、私のVirtualな世界で尊敬しております
曾根綾子様ではな く、現実の世界で敬愛しております
やはり大切な大切な お方です。

 この輝かし いミレニアム新春に、もっとも相応しいメッセージで
あるとの思いから、 この日の来るのを心待ちにしておりました。
 とくに、私たち、 水際で働く者にとりましては、大切なお方
であり、皆で応援し たい!!との願いからインタビュー記事
を掲載させていただ きます。

日刊スポーツ 芸能ニュース(11月14日掲載)

日曜日のヒロ イン(99.10.24インタビュー)   曽野綾子さん

 ==「いい 人」やめて短編が生まれる==
 超が付くハードな スケジュールを楽しんでいるかのようだ。
 財団法人日本船舶 振興会(日本財団)の会長を務める
作家曽野綾子さん (68)。

 年間 1000億円を動かす巨大財団のトップとして激務を
こなす一方で、本業 の作家活動も相変わらず、おう盛だ。
 「ここ(財団)に 来てから、小説のタネに困らないんです」と、
さらりと言う。
  [これまでの日曜日の男&女] (添付写真= 「いつもこっちで
決裁するんですよ」 と曽野綾子会長は笑顔で語った。
  右奥 の会長席にはいまだに座らない(東京・虎 ノ門の日本財団で)

  ==1000億決裁==
東京都港区にある日 本船舶振興ビル。その3階の一番奥まった所が
会長室らしいが、通 されたのは、1つ手前の部屋。
 ソファ とテーブルが置かれた、広々とした応接室だ。
 「隣の ネ、もっと汚い部屋にお通しした方がいいんじゃないかと
思ったんですけど。
 いえ、部屋が汚 いってんじゃなく、すごく私らしく暮らしているから(笑い)。
 ここは 各国の大使の方なんかをお通しする部屋 なんですよ。
 この部 屋にはあまり来たことがなくて」。

   笹川良一前会長(享年96)の後を受けて、会長に就任したのが
1995年(平成7 年)11月。
  「ちょっと来た」はずが、もう4年になる。仕事は多忙を極める。
 何し ろ、財団が出す年間の補助金は560億
  円、貸付金を含めれば約1000億円に上る。
その決裁がすべて 回ってくる。

  30分に1回の来客。当然、陳情も多い.
 「ここ だけはしっかり書いておいてくださいな、私に頼んでも
何にも通らない、と (笑 い)。
  お話 は伺いますけど、決めるのは現場です。
  ここ の会長は膨大な権力を持っているんです。
  前の 方がいいも悪いも明治の方でワンマンでしたし、会長は
何でもできるんで す。
  でも 私、拒否権は使っても、執行権はこれまで1度も使ったことが
ないんです。
 下から おかしいのが上がって来ると、鼻が 利くようになっています」。

  ==隠し事何もない==
 “忍者”となっ て、自分1人で抜き打ち調査的なこともやる。
  情報 開示も、就任当時に掲げた公約のひとつであった。

  「ありがたいことに、うち、隠さなければならないこと、ないんです。
 ここで は一切の秘密なしです。私は失敗したらちゃんと申し上げます」。

   全国24カ所の競艇場はすべて回った。
 舟券も買う。「私 も小説でお金を少し頂いていますから、1 万円ぐらい
買ってもいいとは思 うんですが、決めました。
 1レース3000 円です。
 けちで すけど、もし1 万円をお父さんが使ったとしたら、奥さまは
反感を持ちますよ。
  実際 に私、全然当たらない。
  それ ほど、この世界が公明正大ということです。
  専門 の記者さんが、今度は横風だからこれが来そうだと
教えてくださって、 買っても当たらない。
 実にい いですネ、当たらないっていうことは」。
 出勤は 平均週3 日。
 会長職 は全くの無給である。
 もちろ んボーナスなどというものもない。

   インタビューした日は、フランスで開かれた日仏フォーラムから
戻った直後で、数日 後に今度はアフリカに出発した。
 30年近く携わっ てきた国際的民間組織NGOでの活動なども加えれば、
外国への 旅は数知れない。
 「先進 国はあまり行く機会がないんですが、途上国は比較的よく
知っているでしょう ね。
 私が働 いているNGOはカトリックの修道女たちの活動を
助けるんですが、そ れでも査察はやります。
 おみや げのササニシキとたくあん持って。
 それで 中南米やアフリカへ行くようになったんです」。

  ==現場から泉わく==  
  会長職は多忙だ が「私は作家が第一です」と明言する。
  週3 日間は会長職に全力を尽くし、あとの4日は本来の作家業に戻る。
  各誌 の連載も含め、執筆活動もおう盛だ。
 「世間さまにも、 私が小説を書かなかったらおかしいから。
  面白 いことに、ホントここ(財団)に来てから、私の小説のタネが
増えました。
 なぜかと言うと、 私は現場主義。
 小説の タネや泉が枯れてしまうのは、作家が書斎にこもってしまうから。
 ここで 組 織というのをちょっと見たから、今の連載にも生かされて
いるんです。
 ありが たいことに、今の財団は全体にユーモアがありまして、
みんないつもゲラゲ ラ笑ってます」。   
 会長になって初め て足を踏み入れた競艇場にも、小説にしたいような
ドラ マがいっぱいあるという。
 「私の 読者だという男の人から、お手紙いただい たんです。
 その方、モーター ボートはやらないんだけど、ある春の日、競艇場へ
行ってベンチに座っ てたんですって。
 その隣 にもう若くはない感じのいい女の人が来て、まあどちらともなく
話し始めて、その女 性が言ったそうです。
 最近、競艇をやり 始めて、それまでは小学校の校長をやっていたが、
辞めた後、世の中の いろんなことをしてみたくなった。
 それ も、いいことも悪いこともと言ったんですって。
 いいでしょう、そ のままで素晴らしい短編になります」。

  ==慎太郎が壊した == 
 カトリックの信者 であることはよく知られている。
 人間の 中の偉大な善を認めながら、悪もまた存在するという
カトリックとしての 立場からつづられたのが、今年2月に出版された
アンソロジー「いい 人をやめると楽になる」(祥伝社)。
  「今でこそ小説家というのは、一家が後押しするような職業のよう
ですけど、昭和30 年ごろまでは全然、違っていたんですよ。
  だっ て私の母なんか、何考えてるんだろう、娘を小説家にするなんて、
と言われたもんで す。

 それでも私 は好きだからやってきた。
  もう そこで私は、いい人をやめたんです。
  あの 人は小説家だからね、と言われるのを原則としてやってきた。
 それで楽になった んです。
 ここの会長になっ たのも、そのせいかもしれません。
  あの 当時の悪く言われようは、すごかった。
  だれも、なり手がいなかったんです。
 悪評たてられて困 らないのは小説家だけ。
 その続きで、ここ にちょっと来たんですよ」。

   淡々と笑顔を交えながら話す中に、確たる信念がのぞく。
  「も ともと小説家は社会のアウトロー。
  それがはっきりしてる時代に私は小説家になったんです。
  それを壊したのは(石原)慎太郎(笑い)。
  私、いつも彼に言ってるんです。
  あなたがなまじすてきで、湘南のプレーボーイだったから、慎ちゃんの
やることは全部いい ことだと思われて、あなたが文学を間違わせた
のよって。
  今度 会ったらまた言っておきましょう(笑い)」。
  静か でなければ書けないとかということは一切なく、座ってしまえば
すぐさま執筆に入れ る。 原稿はワープロ。
  文壇ではいち早 く活用した1人だが、ご主人の三浦朱門氏の方が
もっと早かった。
  「彼、文壇3悪筆の1人でしてね。たまたま担当していた編集の方に、
ある日突然ワープロ の原稿送ったんですよ。
  私、 うれしさのあまり、その方が死んじゃうんじゃないかと思った
ものです(笑 い)」。

  ==夫には家庭料理 == 
 最近は趣味である 畑作業や、花作りにいそしむ時間がない。
 それでも家の畑で とれたレタスが9カ月は食卓に供給される。
 「お料理? 恥ず かしいな。お菓子も作れないし、 フランス料理も
駄目だし。でもお総 菜は作ります。
 昆布巻きとかヒジ キの煮た物とか、ブリと大根のアラ煮とか」。

   朱門氏がおいしいと言って食べるかどうかは「知りませんけど」と
笑うが、ここらあた りは、ごく普通の家庭の主婦である。
 「あの人、家庭料 理が好きなんです。
 ああい うものは買って来て食べるもんじゃないでしょう。
 うちは 買ったことありませんよ。
  お裁 縫は全くダメですけど。
  多 分、一生続けるのはお料理だと思います」。

   スポーツは全く駄目。やることも見ることも興味がないという。
  昔か らネコ好きで知られ、自宅には23歳になる“怪猫(かいびょう)”
がいる。
 「前に歯石を取っ てもらいに、獣医さんのところに行ったんですよ。
  そし たら、23歳なんですって。
  年も 知らないで、恥ずかしかったですよ。
  ネコ は今、いつもうちの お父さん(朱門氏)とふざけ合ったり、
2人? でいろいろ やってますよ」。

   つい先月、68歳の誕生日を迎えた。
  20 年前、白内障に網膜炎が重なり、失明寸前までいったことがある。
  その目の状態も今のところ全く心配はない。
  「私は前から、これから先、一生、小説を書き続けたいと言ったことは
ないんです。
 人間、先のことは 分かりませんからね。
 ある日突然、小説 より面白いことが出てくるかもしれないし。
 でも、 何より一番慣れている仕事のことは確かです。
 小説 だったらつらいことでもできる。
 だから、一生やっ てるかもしれない。
  私、もう死ぬまでのテーマがあるんです。
  幸い にも、先も長くないですから。
  で も、もしかしたら、野菜作りだけやっているかもしれませんよ」。
  見通 すように、ほほ笑んだ。
  帰り際、会長室をのぞかせてもらうと、もう書類に目を通していた。
  それ も会長席ではなく、そばのサイドテーブルで。
 「あのいすは座り 心地悪くてね」。
  アウ トローの信念は会長室でも貫かれていた。

  == とにかく努力家で勉強家 ==      
 夫の作家三浦朱門 氏(73)の話 
 彼女はとにかく努 力家で勉強家です。
 例えば土木関係の 作品を書くということになると、ちょっと調べてくる
と言って徹底的にや る。
 ダムな どの基礎工事から完成するまで長期間、現場にいる。
 戦争中 の日本軍を書くときは、マレー半島をずっと歩いた。
 家庭で は、別に普通の人ですよ。
 いわゆるブルジョ ア育ちですが、家事もひと通りのことは習っている。
 小説家というの は、いろんなところに出ることがありますが、
そこで食べた物を家 で復元して料理したりする。
  もち ろん小説を書くのが第一ですが、だからと言って家事、
家庭生活を無視する なんて雰囲気は全然ないですよ。
                         【取材・山田論 、カメラ・酒井清司】

 ◆ 曽野綾子(その・あやこ) 本名三浦知寿子。1931年(昭和6年)
  9月17日、東 京生まれ。幼少時からカトリック教育を受け、17歳で
 洗礼を受ける。
    聖心女子大英文科卒業。大学時代の53年、同人仲間の
 三浦朱門氏と結 婚。
  翌年「遠来の客 たち」が芥川賞候補となり、注目される。
  そのほか「無名 碑」  「一条の光」などを発表。
  70年のエッ セー「誰のために愛するか」は単行本と文庫で
 400万部を突破 する大ベストセラーとなる。
    その後の作品は「神の汚れた手」「時の止まった赤ん坊」など。
   1人息子の太郎氏は現在、神戸在住。

 以上がイン タビュー記事でした。
 添付の写真もご覧 くださいませ。
 このような方に、 是非「国政の舵取りをなさる方」になって
頂きたいです ね。。。

ついでに、日 本財団(日本船舶振興会)のホームページのURLも記載
しておきます。
 情報公開の最先端 を行くような、そして曽野綾子さまの人柄が
偲ばれるような素敵 なホームページです。
 是非ご覧下さい。
http://www.nippon-foundation.or.jp/

以上「海,港 そして仕事船からの発信(00-01)」でした。

                 
 ホームページ「海 と船の写真展」URL:
  http://inaba228.sakura.ne.jp/
  E-mail,   mm2y-inb@asahi-net.or.jp
 

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平成12年1月11日
 「海、 港そして仕事船からの発信です(00-02)。」

 本日は、日本船主協会がこれまで取り組まれてきた「教科書対策」
その他、「現行社会科教科書の問題点を探る旅(その一)について
お便りさせて頂きます。
 
  昨年(平成11年)の7月のことです。
  日本船主協会に勤務されている友人に、これまでに同協会が
  「教科書対策」について取り組まれてきた内容を お調べ頂きました。
  
  この友人から回答頂きました内容をご報告致します。

 99/07/23
 ==海運PRのための教科書対策の件==

  お問い合わせのあった教科書対策についてご返事致し ます。
  本件は当協会本部調査部で対応してきましたものですが、過 年度の
 船協年報を繰ってみましたところ、次の記載がありました。

  それによると、船協は学生・学校向けの広報活動とし て
 (1)中学社会科教材用ビデオの作成
    海運シリーズ「日本とオーストラリアを結ぶ海運」等、現在までに 5作。
    平成6年からは新シリーズ「海運の工夫・技術シリーズ」を作成。
 (2)学生新聞へ海運の役割と重要性をわかりやすく解説した 記事広告の掲載
 (3)学年誌(小学館発行)への記事広告>といったこ とを毎年継続して
行っている他、「教科書対策」としては以下の 活動を行ってきております。

  しかし、遺憾ながら、その広報活動の「成果」とし て、教科書に
 海運の話が取り上げられたという記載はありませんでした。
  また、当時の関係者も、当初より「貿易立国として海運の重 要性」
 について触れた教科書は見当たらないと申しております。

  ご参考までに、船協の「教科書対策」への取り組みを
 年報から拾ってみますと、

 昭和63年:小学校高学年,中学、高校の教科書におい て海運関連
        記事の補足・充実を数年計画で関係方面に働き かけ
        ていくこととし、その第一段階として現行の教科書におけ る
        海運問題の記載状況について基礎調査を実施。

 平成元年:社会科関係者との意見交換を実施したとこ ろ、海運に関する
        情報不足を指摘する意見が多く出された。この ため、こうした
        関係者向けの「海運ニュース」の発刊を平成元 年1月より開始し
        教育現場や教科書編集の場における活用を図っ た。

 平成 2年:前年同様の活動を実施。

 平成3年、4年:教科書の執筆者や編集者宛に海運の最 新情報を
          伝える「海運ニュース」を作成、配布し た。

 平成 5年:「海運ニュース」を発展的に解消し、教育 現場の教師にも
        海運に関する知識を深めてもらうよう配布対象 を
        全国中学社会科教育研究会に広げ、新たに
        「SEAーBORNE」を発行。平成6年も継 続。

 平成 6年:海運セミナー(中学校社会科担当教諭を対 象に海運に関する
        講演、コンテナ船及びコンテナターミナル等の 船舶や港湾施設の
        視察)を実施。
 平成 7年:前年同様の活動。

 ======付記された友人のコメント:====== =
    教科書に取り上げてもらうということは、「世の中の関 心事」が
   海運にないとなかなか難しい。
    その意味でも「海の日」の祝日化が「世間の認識を深め る」第一歩と
   なる事を期待したい。

 以上が友人からご報告頂いた内容です。

  四面楚歌の中で、日本船主協会は、まさに涙ぐましい 努力を
 されております。
  社会科教科書の内容編纂の場において
  「一体いつ頃からこうなったのか??」
  「いつ頃から急に日本人の価値観がかわったのか?」
  私は、昭和30年前後の当時の教科書内容との違いを見てい けば、
 この答えは出てくるものと信じています。

  「現在の社会科の教科書の内容。海運問題のみなら ず、
 何かがおかしい」
  「日本の社会全体が、この30年間の間、経済偏重でなく、
 心の問題としてもっと教科書の内容に注意を払うべきでは
 なかったか??」
 などと思っているのですが。。。

  さて、一方昨年の(99-07)、(99-08)、 (99-09)では主として教科書を
 テーマとしてお話をさせて頂きました。
  この教科書については、私が中学生であった昭和26年から
 昭和29年までと、高校生であった昭和29年から昭和32年 までの
 社会科の教科書を探しておりました。  

  昭和20年代後半から昭和30年代前半の教科書は、 以外にも
近畿1円のいずれの 図書館にも無く、大阪市中央図書館の
コンピューターによる検索結果、大阪府下では地下鉄我孫子駅から
徒歩で 15分のところにある「大阪府教育センター」だけに保存されている
 事がわかりました。

  復刻版が作製される10年後までは「重要図書扱い」 ということで
 貸し出しはおろか、コピーも不可だそうです。
  したがって、数日かけて書き写す必要があります。
 近日中に書き取ってきます。

  そして、現在の教科書との内容の違いを比較表で
 皆様にご覧頂こうと思ってます。
  そして、現在の教科書の内容について、
 「海運の問題」だけに限らず、「これでよいのかな??」と
 皆様とともに考えたく存じます。

  何故って??社会科の教科書は、児童 の、そして学生の学ぶべき
 最も大切な学問というか、「生き方の指針」と 考えるからです。

 以上「海、港そして仕事船からの発信(00-02)」 でした。

                 稲葉 八洲雄
                 
  ホームページ「海と船の写真展」URL:
http://inaba228.sakura.ne.jp/
   E-mail,   mm2y-inb@asahi-net.or.jp 
 
  

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平成12年2月21日
「海,港そして仕事船からの発信です(00-03)」

 お久しぶりです。稲葉です。。。
 本日は、今年の冬の季節風の強さ、しぶとさに少々うんざりも
してきた今日このごろ、同業者である大阪湾パイロットさんと交わした
「かたふり」のメールの一部を掲載させて頂きます。
 ハーバー業務とベイ業務は少し異なっていますが、同じ海上で
危険を共有し、同じ思いで仕事する仲間ですので、使ってる言葉の
すべてが「船言葉」で、わかりにくいかも知れませんが、ご容赦下さいま せ。

(その1))平成12年2月10日2220発信のメール
大阪湾パイロットAさん、Bさんへ

 今晩は!!稲葉です。
 そうですか。。。
 皆さんは大時化の8日も仕事していたのですか?
 私は、7日が当直でしたので、8日は休みでした。

 7日には、すでに翌日の大時化の情報が、事務所に入っていまし た。
 予報では20メートルから最大25メートルまで吹くことになってました ね。
 W25に付けた23,000総トンのバルカー。
 Full Draftに近かった。
 かなり船が古く、ホーサーもかなり痛んで、弱々しかったので、
本船の船長さんに、ありったけのホーサーを使って係留するように
云いました。
 翌日の天気予報を知らせて。。。
 しかし本船は、船首も船尾も5本しか持っていないということでした。
 止むを得ずそのうちの2本づつをバイトにとらせて強風対策をしてもらい ました。
 
 8日は私は当直明けの休みで、「高見の見物」(不謹慎な言動か?)
でしたが、当日の大阪は朝の1番だけで、後は入出港ともストップしたそう ですよ。
 大阪はやはり予報どおり25メートルまでなったそうです。
 この冬1番でしたね。。
 うちのOO君が大阪港外で下船できずに友が島まで本船と共に。。
 Bさんにお世話になりましたね。
 XXOOという36,000GT程度のコンテナ船でした。
 Bさん、ご苦労様でした。
 友が島の下船地点は、あの風でも北や西の風にはシェルターになっていて
冬分は、けっこう安全な場所のようですね。。。

 この日のOO君。堺南航路の1番の沖あたりでリーサイドを作って 下船を
試みた時に、青波並みのしぶきに右目とほほをたたかれて、右目が
波による打撲で一時的な?網膜剥離(大阪船員保険病院の診断)でほぼ失明 した。
 あさの0900頃大阪を出した船ですが、友が島(洲本)からバスで大阪 に
戻ったのがもう夕方だったそうです。

 予め病院に頼んでおいて、時間外でしたが診察してもらった。
 病院に飛び込んだ時は、まだ片目は全く見えていなかったとか。
 翌日の9日の診断では、視力1.2であったものが0.9まで回復。
 ほぼ全快に近い状態となってやれやれといってました。

 友が島から戻るバスの中で、「俺はこれでもう仕事出来ない!!」
と真剣に考えたそうです。
 お互いに楽な商売ではありませんね。。
 ボクシング並の強さの「波のストレート」をくらって、打撲による
「網膜剥離」とはね。。。
 視力はほぼ戻ったそうですが、今でも細かい鉄の微粒子がたくさん
目に刺さっているようです。
 本船の外板をこすって打ちつける波ですから、外板の錆を含んでる
のですね。

 当日は、私は一日中豊中の自宅で、トランシーバーで海上での交信 を聞いて
いました。
 豊中はかなり内陸ですが、海抜の高さもない自宅の屋根のテッペンに
VHF波専用のVertical アンテナをおったてているものですか ら。。。
 今は開店休業状態のアマチュア無線、船に乗ってる時は夢中になって
やってたものですから。。。
 当時はHF帯でしたが、現在はもっぱら、VHF帯ばかり、それも自宅で の
Listeningのみです。

 電波のことですから、電離層の状態で到達具合はまちまちです が。。。
 出力のでかい、KOBEのSEA PATROL RADIO(神戸保 安)や、
神戸や大阪のPort Radioはほとんどいつでも聞けますね。。。
 船のVHFもけっこう出力がありますので、聞こえる時が多いです。
 船でパイロットの皆さんが使ってるVHFトランシーバーは、出力が微弱 ですので
聞こえる事は余りありませんが。。。
 これすべて電離層の影響を受けて、時には伊勢湾の伊良湖パイロットと か、
とんでもなく遠くからの電波が跳びこんできますので面白いですよ。。。

 あの日、8日は、ほんとにすごかった。
 貴方は、あの日の業務についていたのですね。。。
 自宅でVHF帯を聴取している限り、内海から大阪湾へ、あるいは大阪湾 から
内海に、さらに大阪湾から阪神にバトンタッチする船は、パイロットの乗 下船が
極めて困難で多くが錨泊になりましたね。
 結局皆さん当日は船泊まりになったのですね。

 神戸港外での指定錨地に投錨しようとするする船と通航船とのやり 取り、
緊迫してました。
 それをコントロールする「Kobe Sea Patrol  Radio」も大変だったようですね。。
 自宅で聞いていてもからだが硬くなりました。緊張して。。。

 9日は風はかなり弱まってました。
 前日から持ち越された船で大阪の港外は満杯、全員出勤でした。
 私は興石(東)に3万トン程度のタンカーをつけましたが、沖で乗るとき は
風も大した事はなかったのに、付け終わって下船する時は、12メートルく らい
にまで強くなっていました。
 貴兄の船は当時沖を通過していたのですね。

 > 9日、大阪に接近中、LNG が泉北浜寺航路に入っていきました。
 > 12Mいじょう吹いていましたから、大変でしたね。
 > どなたでしたか、ハーバーのHさんからは聞けませんでした。

 貴方が友が島からの途中で見たのは、この後の1300パイロット 乗船の10万トン
のLNG船XXXX丸でした。
 これには、Fさん(シニア)とGさん(ジュニア)で着桟作業が行われて いると
思います。
 着桟制限風速ぎりぎりではなかったでしょうか??
 昨日(9日)は4組でしたので、興亜石油の1隻で終わりました。

 本日(10日)は2組でしたのでけっこう数やりました。
 本日の3隻目はコスモ(南)へ付けるVLCCでしたが、風は10メート ル程度
でしたので問題はありませんでしたが。。。。
 しかしこんな脚の深い船でも、後ろ(西)からの風が10メートルになる と、
なかなか停止してくれませんね。。。
 なんせ、甲子園球場と同じ広さのデッキの広さですから、でかくて重たい わ!!
 こんなヤツでも、けっこう風の影響はありますね。。

 航路OUTまでまだ1キロ余り、バースまで2.5キロもある 9,10番ブイあたりで
速力5ノット弱でエンジンストップして、3,600馬力のタグを2隻「ハ の字で」
6時方向にスローで引かせっぱなしで、やっとバース前で止まる程度です。
 明日の2月11日(祭)は、私は仕事なし。自宅で休養します。
 大時化の8日の仕事ご苦労さんでした。
 

(その2)平成12年2月16日1821発信のメール
大阪湾パイロットAさん、Bさんへ

 今晩は!!稲葉です。。。
 毎日ほんとにきつい風ですね。。。
 といっても私の場合は、幸い先日の8日の強風時は、当直明けの休みでし たし。。。
 昨日(15日)は、朝出勤したら、ボートもタグも出られない18メート ルの風とうねりで
ストップでした。
  昼から15メートルに落ちましたので、仕事再開されましたが、
またまた私は、支部長の代理で、外での会議に公用で出かけて、仕事はして ません。
 1600に事務所に帰ったときには、入出港は、風が少しでも弱まる時 に、
時間を惜しんでやってました。 私はすでにOFFになってました。
 風はあまり弱まってはいませんでしたね。。。
 これでは翌日に持ち越しとなる船が結構残るのではと思って
帰宅しました。

 本日(16日)は早朝出勤でした。 
 やはり昨日処理できなかった泉北の2隻の自動車船はじめけっこう
残されていました。 

 通常なら本日は3組ですので1隻か2隻で終わるところですが、予 定表では
たくさんありました。
 しかしながら、大阪から神戸のマヤ埠頭に持ってく船以外には港外での乗 船、
および港内外での下船全てが無理なほどに時化ていましたのでストップでし た。

 昼前に、港外で15メートルを少し超えて吹いていましたが、やっ てみようと試みました。
 出港船はC8の37,000GTのコンテナ船と中山P1の23, 000GTの船。
 私のやった船(中山P1出港)には大阪湾はWさんが来ました。
 入念に下船方法と下船地点の打ち合わせをしました。

 「北港口付近で大関門のやや左に船首を向け、少しでもリーサイド をつくって、
すぐに下船」とWさんと打ち合わせました。
 さらに「2隻のタグには私の下船後も関門付近まで船の前後をエスコート させますので、
VHF CH15キープで、必要ならいつでもタグを使ってください」とい い、下船しました。

 北港口付近での下船でしたが、大関門から侵入するうねりはかなり 大きく
スピードを極力下げねば無理な状況でしたので、船速が4ノットに落ちるの を
待って、やっとこさで下船した次第です。
 それでも下船時のタグの上昇下降は約2メートルはありましたね。

 だめなら、友が島まで行きます。
 お願いしますとWさんには予め云っておきましたが、何とか下船できまし たので
やれやれでした。
 昼のトライヤルで仕事が出来たのはこれだけで、入港船にタグで
それぞれの船に向かった4名は全員とても乗船できる状態でなく、
そのまま戻ってきました。
 1400現在の天気の状況は全く変化なく港外で15メートルないし18 メートルでした。
 
  なお、昨日(15日)は、1630興亜石油(東)を出したSさんが結 局港外で下船不可で
友が島まで行きました。
 洲本からバスで神戸の自宅に戻ったのは夜半でした。

 明日(17日)はあさ1番出勤の当直です。
 少しは凪ぎになっている事を祈ってます。
 全く厳しい日が続きますね。。。
 お互い十分に気をつけましょう。
 友が島での下船は夏の方が怖いそうですね。。。
 南からの大きなうねりがもろに入りますからね。。。
 私ども大阪のハーバーは、辛いのは冬の季節風の時期です。
 乗船より下船が怖いですね。

 いつでしたかな??
 この冬の最初の強い風のときでしたが、大阪港本港防波堤を出たところで
パイロットボートに下船の際でした。
 大きなうねりで上下するパイロットボートのリギンを右手で掴んで、
つぎに右足を渡した途端にリギンの高さが足元までいきなり下がった
ものですから、乗せた脚がリギンから3段も滑って、危ない目に遭いまし た。
 脚がリギン沿いに滑る瞬間に、左手もリギンを掴んでいましたので、
両腕でぶら下がって止まった感じでした。
 なんとか海没せずにすみましたが。。。

 私の握力なんて大してありません。幸い体重が54キロと軽く、例 の
椎間板ヘルニアで手術入院した時に担当医から、背筋、腹筋の訓練と
「ぶら下がり健康棒」を薦められました。

 以来毎日、自宅の廊下の高所に取り付けた鉄パイプにぶら下がって るのが
幸いしました。
 1年もまじめにやってると自分の体重をけっこう長い時間支えるだけの握 力と
腕力が戻ってくるような気がします。
 余談でした。。
 季節風の猛威、いつまで続くのでしょうかね。。。
 もう1回か?2回?は有りますでしょうね。。。 

 さあ、明日も海中転落しないよう十分に気をつけて頑張りましょ う。

                 稲葉 八洲雄
                
 ホームページ「海と船の写真展」URL:
   http://inaba228.sakura.ne.jp/
 
  E-mail,   mm2y-inb@asahi-net.or.jp 

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平成12年3 月18日
「海、港そし て仕事船からの発信です(00-04)」

  本日のテーマは、「貿易立国が教科書から消えた!!」です。

 国民の皆様 にとって、海、港、貨物輸送の船の大切さは今も昔も
変りません。毎日の 生活に必要な物資(生産財、消費財等)、その原料の
ほとんどが輸入に 頼っていることは、戦後も現在もなんら変わらないでしょう。

 一昨年の 10月に「海と船の写真展」とのタイトルでホームページを開設
致しました。きっか けは偏に、一人でも多くの方に、海や港そして仕事船の
大切さを知っていた だきたいとの思いからでした。

 掲載を重ね る毎に、また掲載のために色々と調べを進めていくうちに、
ある思いにこだわり 始めました。
 それは、これまで 度々ホームページのあちこちに書かせていただきましたように、
現在の中学校社会科 の教科書に、海事についてはどのような事が書かれているのか?
「海から多大な恩恵 を受け続ける国」「資源の無い国」「貿易立国」
「国民経済と海上輸 送の役割」などについての記載は無くなってしまったのでは?
 このような思いへ のこだわりです。

 ホームペー ジの項目では、次ぎの項目の場で教科書を念頭に置きながら
掲載させて頂きまし た。
6.仕事船を操って 幾年月(平成11年12月20日掲載開始)
5-1-2.「大阪 港からの発信です」(平成11年12月15日掲載開始)
 (99-07)  拝啓 曽根綾子さま(その一)
          「エネルギー基地:海側の無防備」
 (99-08)  拝啓 曽根綾子さま(その二)
          「教育現場で忘れ去られた貿易立国」
 (99-09)  「諸外国の安全に対する取り組む姿勢」
 (00-03)  「日本船主協会が取り組んできた教科書対策」

 以来、約 1ヶ月間、大阪府教育センターに通いまして、ひたすら中学校社会科の
教科書、戦後から現 在に至るまでの教科書記載内容を見てまいりました。
 私は、終戦直前の 昭和20年4月に当時の国民学校に入学、昭和26年4月に
中学に入学した世代 です。
 大阪府教育セン ターに、戦後の教科書の中で比較的多く保存されていたのは、
昭和30年以降のも のでした。

 それ以前の ものは、保存も少なく、また戦後の混乱から、落ち着くまでの
期間でもあったので しょう。
 当時はまだ現在の ように、しっかりした文部省の「学習指導要領書」及び
その「指導書」が確 立されてなかったのかも知れません。
 各社(当時は約 10社程度か?)の教科書の内容には、整合されてない面が
うかがわれました。
 この度の調査の年 代を昭和30年以降現在までと致しました。
 戦後のある時期ま での中学校社会科の教科書のタイトルは、
「政治的、経済的、 社会的内容を主とするもの」とのタイトルで3年次に習ってます。
 その後いつのまに か、現在の「中学社会・公民的分野」と名前を変えてました。

 ここでは、 戦後の30年代以降現在に至るまでの中学校社会科教科書記載内容の
概要比較を次ぎの順 序でご照会致します。

1.海運、貿 易を取巻く時代背景の変遷
2.海運、貿易等に 関する記載内容比較。
3.文部省「中学校 社会科指導要領」など
   中学校社会科 教科書作成あるいは学習のバイブルとも云える
  文部省「中学校 社会科指導要領」及びその詳しい解説書である
  「指導書」の概 要。
4.海運、貿易等を 含めた社会科教科書全体として、戦後30年代のものと
  現在のものとを 比べ大きく変ってきている点について(要点のみ)。
5.おわりに
 
 

1.海 運、貿易を取巻く時代背景の変遷

 昭和25年 6月(1950年)朝鮮戦争勃発、昭和28年7月(1953年)終了
 戦後長期にわたっ て、日本は生産財の不足から、輸出振興策(輸出助成など)が
 とられてきたが、 その効果は薄く、貿易依存度(国民所得に対する貿易の割合)は、
 長期に亘って戦前 の半分程であった。当然の事ながら、國際収支は赤字が続いた。
  これが、朝鮮戦 争による米軍の特需による貿易外収支の膨らみにより、一時的に
 國際収支を黒字に 転換させた。

 1961年 (昭和36年)〜1975年(昭和50年)==ヴェトナム戦争==
 ヴェトナム戦争の 激化により、アメリカ経済は急激に不安定となり、金/ドル交換停止
となり、1971年 には円が変動相場制にかわった。

 戦後の日本 の経済政策は、経済生活を向上させる為、一貫して
1)生産を高めるこ と
2)輸出振興(輸出 補助金など)
3)科学技術の発達 (特に重化学工業の発達)
4)生産財の蓄積 (資金の蓄積の為、貯蓄を奨励)
5)加工貿易の振興
 などの政策が重点 的にとられてきた。

 そのため、 加工品の輸出は飛躍的に伸びつづけ、すくなくとも円が変動相場制に
移行し、円高が顕著 になるまでの間は、港湾の拡充、日本船の大量建造が続き、
ドル出費が押さえら れ國際収支も1967年(昭和37年)には完全に黒字に転換した。
 当時は、輸出入貨 物の積取り比率も50%までに回復した。

 このように 戦後は、あらゆる新聞・雑誌類、その他のマスコミあるいは学校教育現場
において、「わが国 は、生産の為に原料・材料を輸入して、加工して作った製品を
外国に輸出する加工 貿易以外には経済的に生きていく道を見出す事は難しい。
また、ドル出費を押 さえる為にも日本船隊の拡充は急務である」との大儀が
普遍化していた。

  1960年(昭和35年)頃の地元神戸港は、外貿貨物の取扱量が急増し、岸壁が
極度に不足状態であ り、港内にあった30数個のブイには常時外航船が係留・昼夜を
問わず貨物の揚げ下 ろしが行われていた。
 また、多くの沖待 ち船が港外に待機する状況であった。
 岸壁の拡張は急務 であり、1959年(昭和34年)4月摩耶埠頭の建設工事が開始され、
1967年(昭和 42年)3月すべての岸壁が竣工した。またポートアイランド1期工事も
1966年(昭和 41年)には建設工事が開始されている。

 しかしなが ら、1971年の円の変動相場制移行後は、円高基調となり、
外貨準備高が急増す ることとなり、日本国籍船保有の意義は薄れ、
あるいは円高にとも なうドル換算での船員費高騰といったこれまでの
大儀が逆転する事と なってきた。
 便宜置積船、仕組 船の始まりであり、日本人船員の大量失業へと進み、
今日に至る。

 中学校社会 科教科書において、「資源の無い国」「貿易立国」あるいは又
「国民経済と海上輸 送の役割」などの言葉が、頻繁に現れたのは、戦後から
1971年(昭和 46年)頃まででした。
 それ以後は、それ らの言葉は、ほぼ完全に社会科教科書から消えてしまいました。
 資源のない国であ る事。貿易立国である事。物資の安全な海上輸送は国民経済に
とって極めて大切な 事には変りが無いのにである。

 教育現場で すら、このような価値観が急に転倒してしまったこと不思議に思っております。
 経済の状況が如何 に変わろうと、「貿易立国である事。」「資源の無い国である事。」
「物資の安全な海上 輸送は極めて大切である事。」「海から多大な恩恵を受けつづける
国であること。」
 これらは日本に とっては不変です。

 これらの事 柄を、中学校教育現場から消えさせて良いものでしょうか?
 
 

2.海 運、貿易等に関する記載内容比較。

(1)中学校 社会科教科書出版社
  大阪府教育セン ターに現在保存されている昭和30年以降の出版社名を
 すべて拾ってみ た。
  これですべてか どうかは不確かなるも。。。

 日本書籍、 大阪書籍、学校図書、東京図書、帝国書院、清水書院、教育出版、
 実業之日本社、古 今書院、修文館、三省堂、学研図書、開隆堂、大日本図書。

(2)新旧内 容比較(海運・貿易関係掲載内容) 
  これらの出版社 の中で、戦後継続的に広く使われていると思われる数社の中から、
 とくにA社のもの について、昭和30年頃のものと、現在のものを、 その内容に
 ついて比較してみ た。
  内容の変化は、 1980年(昭和55年)頃から始まり、1985年(昭和60年)頃には、
 海運・貿易に関す る記述(重要性の記述)は全く見られなくなっている。  

    昭和 30年頃:「日本経済の進路」の項目の中で、約18ページにわたって、
           主として貿易に関する記述が詳しくなされている。
            生産の重要性、科学技術の発達、産業の高度化(重化学工業化)、
           貿易の拡大と振興策、日本船建造の急務(積取比率の改善)、
           ドル出費を防ぐ、貯蓄の奨励と生産財の拡充、などが特徴的に
           記載されている。
            
            また、昭和30年以降、昭和60年(1985年)頃までの教科書には
           いずれも横浜港、又は神戸港における貨物船の荷役風景の写真が
           添付されている。

            ある教科書会社の教科書にある写真の説明には、
           次ぎのような事が書かれていた。
           写真の説明:タイトル=貿易港横浜=
              ミナトヨコハマは、戦前戦後を通じて文字通り日本の表玄関であり、
             國際貿易港である。貿易が、その経済の消長に決定的な意義を
             もっているわが国にとって、横浜港の果たす役割は大きい。
              巨大な旅客船、貨物船の往来は頻繁を極めている。  
 
           学習する際のキーワードとしては、現在の教科書に比べて、極めて
           少なく極めてシンプルな時代背景であったことが伺われる。

           この頃の貿易等に関する学習のキーワード:
             貿易と産業、國際収支、世界恐慌、ダンピング、ガット、國際通貨基金、
           輸出の振興(デフレーション)、国内市場、アジア貿易、貿易外収支、
           為替レート、特需、経済ブロック、輸入超過、受取勘定(黒字)、
           支払勘定(赤字)、國際収支の改善、加工貿易と輸出、など

         教科書に添付の参考資料:社会科教科書全体のもの
                     O日本国憲法
                     O世界人権宣言
            この時代の教科書添付資料は、何処の教科書においても、大差は無く、
           極めて、少ない添付であった。文部省「学習指導要領」においても、とりわけ
           重視すべきとする文言は見当たらない。

    現 在: 「世界の中の日本経済」という章の中に、「日本経済と世界の経済」という
        項 目があり、7ページにわたって、実態の説明がなされているが、古い時代の
        教 科書と比べて、「現代用語辞典」に書かれているような、単なる用語の
        説 明に終始し、これからの日本経済の運営で何が大切かといった説得力ある
        方 向性は示されていない。
 
           海事、貿易関係の記述に関しては、7ページの中で、
           1.伸びる世界の貿易では、
            「日本経済の國際化」「國際経済の自由化」
           2.外国との取引では
            「貿易と國際通貨」「為替相場の仕組み」「國際通貨の安定」
           3.國際収支と国民生活では、
            「國際収支」「為替変動とくらし」
           などが、少ないページの中で、次ぎに挙げる膨大な量のキーワードを
           繋げながら、現状説明、言葉の説明に終始している。

             予想していた通り、「貿易立国である事。」「資源の無い国である事。」
           「物資の安全な海上輸送は極めて大切である事。」
           「海から多大な恩恵を受けつづける国であること。」 などの文言は全く
          見当たらない。 
            神戸港や横浜港での貨物船の荷役風景を示す写真は、1985年(昭和60年)
           頃以降は完全に教科書から消えている。

          貿易等に関する学習のキーワード:
            経済大国、為替相場、國際収支、国民総生産(GNP)、発展途上国、
           政府開発援助(ODA)、国内総生産(GDP)、貿易依存度、産業の空洞化、
           日本経済の國際化、國際経済の自由化、関税貿易一般協定(GATT)、
           外国間貿易交渉(ウルグアイラウンド)、世界貿易機構(WTO)、自由貿易、
           貿易と國際通貨、為替レート、外国為替市場、為替相場制度、
           固定為替相場制、変動為替相場制、國際通貨基金(IMF)、
           貿易収支、貿易外収支、円高、円高差益、貿易摩擦と國際強力、
           黒字国日本、世界経済への協力、國際復興開発銀行(世界銀行)、
           経済開発協力機構(OECD)、國際機関への資金提供、技術提供、
           ヨーロッパ連合(EU)、東南アジア諸国連合(ASEAN)、
           北米自由貿易協定(NAFTA)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、
           南北問題、新興工業経済地域(NIES)、国連貿易開発会議(UNCTAD)
           新國際経済秩序、外国籍企業、累積債務、など

          おそらく、昭和30年当時に比べて、その数は4倍くらいに増えているのでは
          なかろうか?
           中学校3年生といえば、15歳である。この年齢の子供達が中学で、これほど
          たくさんの事柄を覚えねばならないのだろうか?
 
          キーワードの数は、昭和50年以降は急激に増え続けてきている。
          また、中学校教育事態が、高校入試の予備校化が顕著になり始めたせいもあり、
          まるで、高校の教科書を思わせる(すなわち大学受験の為の参考書か?)内容に
          変化してきている。

           学習のキーワードは、古い時代のものに比べて高度化(?)、
          複雑化(?)多岐化(?)が顕著であった。
           まさに「積めこみ教育」を余儀なくされた状況理解できる。
          中学校の高校予備校化であろう。子供達は社会の勉強で何が大切か?
          を学ぶのでなく、現代用語辞典を覚える事に四苦八苦したことであろう。  

        教科書に添付の参考資料:社会科教科書全体のもの
              戦後何年か経ってから、文部省中学校社会科指導要領において
             「参考資料を重視」の指導がなされており、いつ頃からか、添付の資料が
             増加してきてます。
              現在の教科書に添付されている参考資料は、次ぎの通りです。
              O日本国憲法
              O国会法
              O大日本国帝国憲法
              O民法
              Oアメリカの独立宣言
              Oフランスの人権宣言
              O世界人権宣言
              Oユネスコ憲章
              O同和対策審議会答申
              O労働組合法
              O労働基準法
              O最低賃金法
              O教育基本法
              O公職基本法
              O國際連合憲章
              O日本国との平和条約
              O独占禁止法
              O日米安保条約
              O消費者保護基本法
              O公害対策基本法
              O農業基本法
              O中小企業基本法
              O児童憲章
              O児童権利宣言
              O國際人権規約
              Oこどもの権利条約

              現在の教科書、本文はもとより、以上の添付資料をご覧頂いただけでも
             ビックリされるのではないでしょうか。。
              「社会科の教科書では、私達が社会を見る目を養い、立派に行動する
             為に必要な知識をおさめる」ための添付の参考資料なのですが。。。            
              「社会で立派に行動する為に必要な知識の習得」には、他にもっと
             大切な資料がたくさんあると思うのですが。。。
 
             私には資料の内容に「偏り」があるように思われるのですが。
              如何でしょうか??           
              教科書本文もしかりなのですが、あまりにも多くのページを「人権」や、
             「労働者の権利」などに費やしすぎてるように思います。
              教科書の約60%(昭和30年代の教科書では、せいぜい30%)もの
             ページが「権利」と「人権」で占められております。
               文部省の「指導要領」とは裏腹に、権利と人権を「煽りすぎ!!」
              ているようにも思えますし、逆に「責任」「義務」を軽視しているように
             思えました。

               戦後にはじまり、現在に至るまで、我々は、「経済優先」をモットーに
             日本経済再生のため、実業界で日夜奮励努力してまいりました。
               新しい世紀が始まり、新たな希望に燃えた社会を形成しゆく為にも
             皆様ともども現在の社会科教科書に関心を寄せてみようではありませんか。
                        
               中学校社会科の教科書は、児童の、そして学生の学ぶべき最も大切な
             学問というか、「生き方の指針」と考えるからです。
               文部省始め、中学校教科書編纂に携わるいわゆる学者の方々の
             お考え、教科書編纂の仕組みなどに対しては、これまで実業界の
             皆様方は、ほとんどタッチしてこなかったのではないでしょうか??
 
              日本の将来を担う子供達の「生き方の指針」を作る現場のことも、
             これからはしっかりと、国民全員でチェックし、あるいは作成に参画し、
             日本の輝かしい将来のための正しい指針が作られることを望んで
             おります。。
 
 

3.文 部省「中学校社会科指導要領」など

   中学校 社会科教科書作成あるいは学習のバイブルとも云える
  文部省「中学校 社会科指導要領」及びその詳しい解説書である「指導書」の概要
  それらに加え て、教科書会社が、指導要領にもとづきそれぞれ作成する
  「指導の手引き 書」についても、大阪府教育センターには、ほとんどすべて
  保存されており ました。

   教科書 が、文部省が作成する「指導要領」さらには、詳しい「指導書」に
  基づいて各社で 作成され、その「指導の手引き書」も含めて文部省の検定に
  かけられます。
   検定に合格し て、はじめて教科書として販売されます。
   
   教科書学習の バイブルとも云われる「指導要領」あるいは「指導書」なるものは、
  極めて抽象的に 書かれており、表現されている言葉だけ拾っていっても、
  「この指導書に 基づいてこの教科書が出来たのだ。なるほど!!」と簡単には
  理解が出来ませ んでした。
 
  「指導要領」 「指導書」は戦後のものからすべて目を通してみました。 
   3年か4年毎 に、小改正、大改正が行われて参りましたが、その違いは?
   その効果は? となると、まさに教育現場で長期にわたって携わってきた方でないと
  正しい意味は、 理解できないと思いました。
   
   しかしなが ら、私には「指導要領」「指導書」の内容は、戦後この方、
  あまり変化はな いように見えました。
   それなのに、 実際の教科書の内容は、とてつもなく大きく変化してきております。
   理由は、全く わかりません。。。。

   ここで は、「指導要領」にもとづく「指導書」の内容について、簡単に昭和30年頃の
  ものと現在のも のの大まかな比較をして見るのに留めます。
   なお、「指導 書」は、昨年(平成11年9月)発行のものから、名前が「解説」と
  変りました。  つまり、指導要領の解説という意味です。

    その 内容の構成は「目標」とその「内容」に分けられております。
    ここでは、 「目標」のみ掲げさせて頂きます。

  昭和30 年頃のもの:============
   「目標」は、 7項目に分かれております。
  1.民主主義を 実現し、人権を尊重すことが、人間性の向上やわれわれの
   幸福に密接な 関係があることを理解させ、その為に努力しようとする態度を養う。
  2.政治・経 済・社会の機構や機能について、それがわれわれの生活と密接に
   結びついてい ることや、民主主義のよりよい実現のために、現状がどうなって
   いるかを理解 させ、また、どのように発展させたらよいかについて考えさせる。
  3.近代文明の 発達によって、政治・経済・社会の各方面に大きな進歩が見られる
   とともに、多 くの問題が生じていることを理解させ、それらの問題に対処して
   いくために は、どのようにすればよいかについて考えさせる。
  4.人々が自国 を愛し、その平和と繁栄を図り、文化を高める事によって、人類の
   福祉に寄与で きるものであることを理解させ、国家や社会のよい形成者と
   なろうとする 態度を育てる。
  5.国と国との 関係は、相互に対等の立場で尊重しあい、その主権を互いに尊重する
   ことによっ て、はじめて平和な関係を維持できるものであることを理解させ、国際的
   視野に立って 他国民と協力し、世界の平和に貢献しようとする態度を養う。
  6.国家や社会 の一員としての望ましいあり方を理解させるとともに、民主主義を家庭や
   学校をはじめ 広く社会生活の上に、具体化していくための基礎的な能力や態度を
   養う。
  7.確実な資料 を選んでこれを正しく利用し、色々な問題について先入観や偏見をもたず、
   公正な判断を 得ようとする態度や能力を養う。

  (注) 1.及び5.は、社会科全体の基本的な目標。
     4.は、 政治・経済・社会的分野との関連が特に深い目標。

  現在のも の:================
   「目標」は、 4項目に分かれております。
  1.個人の尊厳 と人権の尊重の意義、特に自由・権利と責任・義務の関係を
   広い視野から 正しく認識させ、民主主義に関する理解を深めるとともに、
   国民主権を担 う公民として必要な基礎的教養を養う。
  2.民主主義の 意義、国民の生活の向上と経済活動とのかかわり、および
   現代の社会生 活などについて、個人と社会とのかかわりを中心に理解を
   深めるととも に、社会の諸問題に着目させ、自ら考えようとする態度を育てる。
  3.国際的な相 互依頼関係の深まりの中で、世界平和の実現と人類の福祉の
   増大のため、 各国が相互に主権を尊重し、各国民が協力しあうことが重要
   である事を認 識させるとともに、自国民を愛し、その平和と繁栄を図ることが
   大切であるこ とを自覚させる。
  4.現代の社会 的事象に対する関心を高め、様々な資料を適切に収集、選択
   して、多面 的、多角的に考察し、事実を正確に捉え、公正に判断するとともに
   適切に表現す る態度を育てる。

 (注)1. は、公民的分野固有のねらいと基本的性格を示す。
    2.3. は、1.を達成するために、この分野の内容に即しながら、ねらいを
    具体化した もの。
    4.は、他 の地理的分野の目標4.と同様、この分野で育てようとする能力と
    態度。
 
 

4.海 運、貿易等を含めた社会科教科書全体として、戦後30年代のものと現在のもの
  とを比べ 大きく変ってきている点について(要点のみ)。

 今回のテー マである「海運・貿易関係の記述が、戦後この方、中学校社会科の教科書で
どのように取り扱わ れてきたか?」からは、幾分はみ出した調査ではありますが、これらの
教科書を順次見てい るうちに、その変化の内容に、いくつかの特徴が見られました。
 あえてお知らせ致 します。
 
 その特徴として は、昭和30年代の教科書に比べて、現在のものは。。。
 1.「資源の無い 国」「貿易立国」あるいは又「国民経済と海上輸送の役割」などの言葉が、
  頻繁に現れたの は、戦後から1971年(昭和46年)頃までであり、それ以後は、減りつづけ
  昭和60年頃に は、これらの言葉は、ほぼ完全に社会科教科書から消えた。
 2.中学で学ぶべ き項目を大きくはみ出し、大学受験勉強の予備軍みたいである事。
 3.昭和30年代 の教科書は、いずれも教科書の冒頭で、「社会科の教科書で
   何を学ぶべき か」が非常に解りやすくかかれている事。さらには現代でも十分に
   通用する「社 会で生きて行く為に大切な事」が解りやすく記載されているのに対し、
   現在の教科書 では、その辺が極めて不充分であり、不明確でもある。
    内容が、積 めこみ教育の典型を呈しており、「現代用語辞典」みたいである。
 4.教科書の全体 の流れを整流する為の、監修責任者みたいな方あるいは、
   編集責任者 が、おられるのかどうかうかがわしい。
   全体の流れを 見てみると、あまりにも多くの先生方が分担して執筆されたためか、
   流れに整合が 見られない。バラバラの感じがする。
 5.世の中を見る 視点など。
   昭和30年代 の教科書の一端を前述致しましたが、当時の教科書は、どこの出版社の
   ものを読んで も子供達が真剣に取り組みたくなりそうな視点で、解りやすく書かれて
   のに対し、現 在の教科書著作者の視点は、
   (1)子供の 視点でなく、長年の人生経験をもった者でなければ理解する事が
     困難な視 点で書かれている。15歳の年齢では理解は困難と思われる。
   (2)親の価 値観とは大きく異なった価値観で書かれているところが多く、
     親が見た ときに違和感を覚えるのに対し、昭和30年代の教科書には、
     違和感が ない。現在のものには、あるイデオロギー的な特殊な思想を
     植えつけ るねらいをもって書かれているようにも見うけられる。
   (3)昭和 30年代の教科書は、文部省「指導要領」「その解説」との間に、
     隔たりは なく、明らかに指導要領に基づいて書かれている事理解できるが、
     現在の教 科書には、「指導要領」及びその「内容の解説書」との間に、
     リンク無 き大きな隔たりが出来ている。
 6.中学校社会科 教科書作成のバイブルである文部省作成の「指導要領」あるいは
  「その解説」に ある「目標」と「その内容」は、戦後も現在も大きな変化がないこと
  前述掲載のとお りですが、実際の現在の教科書の内容は大きく異様に変化してます。
   変化のポイン トは、
  (1)「人権」 や「権利」に50%を超える余りにも多量のページを割いている。
  (2)添付資料 について、大きな偏りが見られる。
    文部省の 「指導要領」では、資料については昔と変らない表現で。。。
    「現代の社 会的事象に対する関心を高め、様々な資料を適切に収集、選択。。。」
    と記載され ているのに対して、実際には「人権」「権利」に関する法律や条約
    ばかりが収 集されてるといっても過言ではない。余りにも大きな偏りが見られる。
     中学生が 「社会を正しく見る目を養い、りっぱに行動するために必要な知識」を
    補う資料と しては、他に大切なものがたくさんあると思うが。。。  

ここでは、社 会科教科書の「序文」その他の概要を掲載させて頂きます。
 いずれも出版社は A社のものです。

昭和30年頃 のもの:
  社会科教科書編 集委員会(中学部会)
    学習院長        安倍 能成 (監修)
    東大教授        勝田 守一 (編集)
    東大附中・ 高教諭    岩浅 農也
    東大教授        飯塚浩二
    東大教授        江口朴郎
    学習院大教 授      児玉 幸多
    東大資料編 集所員     遠山 茂樹

「序文」、 「はじめの章」、「おわりの章」について、少々長くなりますが
「極めて重要な内 容」との思いから、全文掲載させて頂きます。

「序文」のタ イトルは、===「社会について学ぶために」===

 わたしたち は、家族の一員であるし、また地域の生活の中で色々な
経験をしている。  さらに日本の国民として、国のできごとに感心を
もたなければならな い。
 日本の国を考える 時に、私たちは、やはり世界の国との関係をよく知って
世界のなかの日本の 地位や役割を、はっきりと理解しなければならない。

 中学校社会 科教科書「現代の社会」は、上下2巻になっているが、
どの巻も、私達が社 会を正しく見る目を養い、りっぱに行動するために
必要な知識をおさめ ている。

 上巻の「は じめの章」は、上下全巻をつうじて、勉強する根本的な
態度と、心がまえに ついて書いてある。
 よく読んで、疑問 の点について、先生や友達と話し合うとよい。
 
 第1章「社会生 活」は、家庭生活の問題からはじまって、地域の村や
都市の生活、さらに それらの間のつながりについて勉強するように
書かれている。

 第2章「民 主主義の政治」は、そういう日本の社会を幸福にしていくために
、どういう政治の仕 組みをもっているかを明らかにしようとしている。
そのために、民主主 義の根本について、だいじなことがらにふれている。

 第3章「経 済生活」は、社会生活をいっそう豊かにするために考えねば
ならない経済の問題 をとりあつかっている。国民の経済生活や経済の
仕組みを理解するこ とは、社会に生きていくためにも、また、わたしたち
国民が全体として豊 かになっていくように努力するためにも必要である。

 下巻の第4 章「生活の安定」は、現代の日本の社会生活の重要な問題を
とりあげている。職 業の問題、労働問題、失業問題、社会保障の問題、
人口問題は、私立ち の社会生活の安定を民主的な方法で求めていくために
、国民が真剣に取り 組まなければならないものとして、とくに大事である。

 第5章「文 化と生活」では、文化の問題に進む。
わたしたちは、人間 を尊ぶ心を深める為に、文化について勉強するのである。

 第6章「國 際関係と平和」では、日本を取巻く國際関係を学び、平和な世界を
実現していく上に、 解決しなければならない問題について理解を深めたい。

 最後に、 「おわりの章」では、ずっと学んできたことがらをつうじて、私たちは
どう生きるかを再び 深く考えて、学習のまとめをしていく。
 しかし、これで社 会の学習は終わったのではない。
 私たちの一生が、 絶え間のない社会の学習であり、勉強である。
 この本の「おわり の章」は、わたしたちの新しい生活の出発点ともなる。

 上下の2巻 をつうじて、わたしたちは、どの章を学ぶときにも、教科書を
読むと同時に、先生 のお話を聞き、さらに重要な問題については、学級で
話し合うことが必要 である。
 話し合いの資料に は、本の中の引用文や統計や写真が役に立つ。
 また、先生の指示 のもとに、実際に見学して調べる事も大事な話し合いの
資料になる。
 とくに大切な事 は、「はじめの章」と「おわりの章」を除いて、各節の終わりにある
「重要なことがら」 について、自分の理解の程度を試してみたり、「学習のまとめ」
にでている問題を学 級全体で、あるいは自分でやってみることである。
 それは勉強をほん とうによくやったかどうかを試すよい方法である。
 また各章の終わり にある課題は、学習を発展させるために役立っている。

「はじめの 章」のタイトルは、===「正しく生きるために」===

(一人一人の 生活)
 人間はだれでも、 それぞれ違った生活の歴史をもっているように、わたしたちの
現在の生活もひとり ひとり違っている。

(共通の問 題)
 歴史で学ぶ人類の 共通性。社会的動物であること。
 わたしたち日本人 の祖先は、同じ社会に生き、同じ過去をもつ共通点がある。
 人類として考える と、世界の人々と同じ世界に住んでいる共通点がある。
 わたしたちは、社 会的動物であり、幸、不幸など共通の問題として考えなければ
いけない。

(わたしの幸 福)
 「わたし」をつく りあげてきたものは、自分の歴史、日本の歴史、世界文化の歴史、
そして人類の歴史が ある。 また、「わたし」の未来には、限りない子孫のつながり、
人類の将来の歴史が 続いている。
 「わたしの幸福」 を考えるとき、「自分を大切にする」を考えるとき、結局「人間すべて」
「世界の人々」「日 本の国民」の「幸福」「大切」を考えることになる。

(社会は複雑 である)
 社会は複雑で競争 がある。
 職を得る人おれば 失う人が出る。両親の喜びと引き換えに職を失った人の両親は
悲しむかも。 ある 地域が栄えた為に、他の地域がさびれるかもしれない。
 わが国が盛んに なって、ために他の国民や民族を不幸にすることもある。

(自分の問題 と社会の問題)
 他人の不幸を踏み 台にしたり、あるいは他人を犠牲にしたりして得た自分の幸福は、
ほんとうの幸福では ない。 そのために新しい争いや、不満や問題がひきおこされる。
 わたしたちが正し く生きていこうとするとき、大切なことは、わたしたち自身の生活、
日本全体の国民の生 活、また、経済や政治や文化の問題、日本をとりまく国際的な
問題、それが互いに つながっていることを、はっきり学ぶことである。

(社会の勉 強)
 わたしたちは、正 しく生き、人々とともに、幸せを求め、平和な世界と正義にもとづく
社会の進歩を願っ て、社会のいろいろな問題について学習しなければならない。
 わたしたちの未来 は、ひとりひとりが違う。 しかし、すべての人々が正しく、幸福に
生活していくために は、みんなが力を合わせて、共通の問題を学習し、共通の困難を
のりこえていかなく てはならない。
 わたしたちの祖先 は、そのようにして、この社会を築いてきた。
 わたしたちも、歴 史をつくり、いっそうよい社会を、さらにあとからくる人々に残して
いかなくてはならな い。
 そこに、わたした ちの生きがいがあるのだから。

 以上が、昭 和30年頃の中学校社会科「政治的、経済的、公民的分野」教科書の
 「序文」「はじめ の章」「おわりの章」の全文です。
 

 次ぎに、現 在の教科書:同じA社のもの
 
  「別記著作者」 との表現がなされている。
   「社会科教科 書編集委員会」などの記載はない。
   また、監修者 の記載も見当らない。
      各著作者のお名前は、省略させて頂きます。

    中央 大学教授           
    東京大学名 誉教授        
    学習院大学 名誉教授       
    東京都立大 学教授        
    明治大学教 授           
    駒沢大学教 授           
    東京都立第 十中学校校長    
    千葉県若松 中学校教諭     
    東京都蓮沼 中学校教諭     
    元東京都日 比谷高等学校教諭 
    元東京都東 原中学校教諭    
    一橋大学教 授           
    広島大学名 誉教授        
    前東京都道 和中学校教諭    
    出版社編集 部
 
同じA社の中学校社 会科教科書「公民的分野」の中の、
「序文」(学習のは じめに)および「おわりの章」の全文を掲載させて頂きます。

「序文」のタ イトル===学習のはじめに===

 「最初のあ ゆみ」と題するミレーの絵(挿絵挿入あり)は、直立歩行の学習をする
赤ちゃんの様子をみ ごとにえがいている。人間の赤ちゃんは、何度も失敗を重ね
ながら、周囲の人間 達の愛情やはげましにうながされて、自分で歩けるようになる。

 直立歩行に よって、手のはたらきが自由になり、重い脳を支える事が出きるようになり、
想像力や構想力な ど、心の豊かさを育てた。 こうして、人間の歴史は始まった。
現代の私達の生活は すべて、このような「最初のあゆみ」から始まったのである。

 人間独自の ものとされる言葉や文字などの使い方も、人間は生まれながらにして
できるものではな い。 それらはすべて、ほかの人間がそうするのを見て、まねようとして
努力し、親や兄弟・ 姉妹などに助けられ、はげまされながら習得したものである。
 食物のとりかたや 身だしなみから美しいものを愛し、悪を憎み、正義を求めることに
いたるまで、人間ら しいことはみな、家族や隣人など他の人間との結びつきのなかで
、生まれ育てられた ものである。

 人間らしい ことは人間関係の中で育てられ、その結びつきを強める。 ときには
この結びつきをわず らわしく思う事があったとしても、このことは、動かすことの
できない事実であ る。 社会とは、このような人間関係を成り立たせている人間の
集まりである。だか ら、人間は社会的存在であるといわれている。

 社会科の学 習では、人間と他の人間との関係に目を向けて、社会の中での
人間のあり方を考え る。

 人間関係の 結びつきには、運命的ともいえる出会いから始まった家族や友人、
地域社会や職場な ど、いろいろなものがある。今日では、私達をとりまく人間関係は
、書物やテレビなど からえられる情報をなかだちとして、時間や空間をこえ、世界中の
人々のあいだに広 がっている。
 また、私たちの生 活を支えているさまざまな生産物はすべて、農民、労働者、自営業者、
経営者など、無数の 人々の手をへて生み出され、届けられる。こうした生産物をめぐる
人間関係のつながり については、経済単元の項で学習する。

 さらに、い ろいろな社会を統合している国家は勿論、家庭にも企業にも、人々の
まとまりにはどこで も、そのまとまりを安定させ、人々を指図し強制する力の
はたらきがある。こ の力を権力という。 
 権力のあり方は、 人々の生活に大きな影響がある。

 人間はだれ もが、自立独自の生活を求め、平等で正義の関係を求める。 この願いを
実現するには、権力 のあり方をどうしたらよいか。また、わたしたち一人ひとりの生き方を
どうするか。はじめ の政治単元では、まずそうしたところから学習を進めていく。

「おわりの 章」

(旅に出る 心)
 どこか遠い国へ 行ってみたい。見知らぬ町をおとずれたい。人にはそんな心がある。
 毎日の同じような 生活にあきてしまったときに、ふとそんな気持ちになる。
 そうばかりでもな い。夢がいっぱいふくらんだときにもそんな考えをもつ。
 未知の世界へのあ こがれが、旅に出る心を誘う。

 もっときび しい思いもある。自分が知っている世界、自分をとりまいている環境、
それだけが世界では ない。わたしたちがまったく知らないことが、どこかでおこっている
のではないか。わた したちがあたりまえだと思っていることが、じつは間違っている
のではないか。とん でもない、ありえないことだと信じていることが、実は本当だった、
などということもあ るのではないか。どこかはなれたところへ行ってみて、遠い所から、
自分の国を、町を、 学校を、家を見なおしてみたい。そうしないと本当のことはわからない
のではないか。そう した思いが、旅をうながすこともある。

 むかし日本 が鎖国をやめたとき、はじめて世界のようすを知った人々はびっくりした。
 それを自分の目で 確かめようと、ヨーロッパやアメリカに旅する人がふえた。今日では
アジア各地やアフリ カに旅する人々もふえている。わたしたちが知らない、あるいは
失ってしまった大切 なものが、見出されるのではないか。新しい友情を築く糸口が
えられるのではない か。そうした期待や願望も、人々を旅にかりたてる。

(伝統を求め て)
 古都、京都は人気 のある街だ。鎌倉もおとずれる人があとをたたない。人々は、
現在の生活を追うだ けではなく、伝統を求める。歴史を探る。そこにわたしたちの
祖先がいる。わたし たちは、歴史という幹をたどって祖先という根に出会う。
 今日のわたしたち は、その根の上に茂った枝や葉であるともいえる。

 わたしたち の祖先はどこから来たのか。どんな生活をしていたのか。どんな苦労を
したのか。どんな夢 をえがいていたのか。こうしたことを探っていったとき、何か
思いあたることがあ る。祖先が築いた歴史のいとなみなくしては、今のわたしたちは
存在しない。根がな ければ、枝も葉も、新しい芽生えもないからである。

 未知の世界 を探求する。歴史を探求する。それは、現在のままでは満たされない
ところがあるからで もあろう。こうした探求の中から、わたしたちは人間と社会を
見直していく。自分 自身を見つめなおす。こうした探求心が、よりよい世界を
築いていく力とな る。

(社会を探求 する)
 探求するには、探 求の方法が必要だ。探求の方法が科学である。近代および現代は
科学の時代である。 はじめ科学は、自然を探求することから始まった。
 ニュートン、ダー ウィン、アインシュタイン、わたしたちの知っている有名な科学者は、
みな自然の探求から 出発した。

 自然科学は 進歩した。そして多くの高度な技術を生んだ。工業は発達し、経済も
栄えた。それで人間 はほんとうに幸福になったか。たしかに生活は便利になり、病気も治る
ようになった。しか し反面、何千万人もの人間の生命をうばった戦争が20世紀に二度もあった。
 産業公害で生命を 損なわれる人々もふえた。こうした惨害の原因をつきとめることも、その
惨害を防ぐことも、 自然科学だけではできない。

 その原因を 探求するには、人間のいとなみ、社会を探求する科学がなければならない。
 それは社会科学で ある。政治学、経済学、法律学や社会学などである。これらの科学の
発展は、自然科学に くらべるとおくれた。社会科学は戦争の原因、貧困や公害などの
原因を探求するが、 そのような研究には格別の困難がともなったからである。科学の発達の
ためには、学問の自 由や表現の自由、それらを保障する民主主義社会の発展がなければ
ならない。

(知を力とし て)
 社会科の学習でわ たしたちが学んできたことは、社会についてのいろいろな学問の成果
である。しかし、こ れまでに学んだことが唯一の知識であるとは限らない。別の知識も考えも
ある。ものの見方や 考え方は、立場や利害関係によっても変る。偏見なく物事を見るためには
、これまで学んだ知 識を、異なった見方と比べ合わせて見ることが必要である。
 科学の探求では、 わたしたちは何よりも事実を事実として認める精神をもち、真理・真実の
前には謙虚でありた い。

 わたしたち は、地球に生まれ、日本で生活している。かけがえのない人生を、かけがえのない
ふるさとを大切にし たい。人間とその社会を愛すればこそ、その真実の姿を見極めたい。
 知識を広げること は、それだけ人間の自由を広げる。真実を学ぶことが、未来への希望を
ひらいていく。

 わたしたち は15歳。まだ人生ははじまったばかりである。探求の道はどこまでも続く。
 その道をしっかり とふみしめていこう。 それが、生きていくということなのだから。

以上が、現在 のの中学校社会科「公民的分野」教科書の
 「序文」および 「おわりの章」の全文です。
 

 最後に教科 書本文の構成(優先順位を含む)とそれぞれの章に配分された
ページ数を比較しま した。

 昭和30年 頃のもの:            ページ数
はじめの章(正しく 生きるために)          4
第1章 社会生活                  44
第2章 民主主義の 発展                68
第3章 経済生活                   62
第4章 生活の安定                  42
第5章 文化と生活                  42
第6章 國際関係と 平和                46
おわりの章(わたし たちの生き方)           6
合計ページ数                  314
 

 現在のも の:                ページ数
序文(学習のはじめ に)              2
人権を守る                   111
  第1章 個人の 尊厳  (45)
  第2章 民主主 義の政治(38)
  第3章 國際社 会と平和(29)
くらしを豊かに                  61
  第4章 経済の しくみ(41)
  第5章 日本経 済とその課題(20)
豊かな地球をめざし て              46
  第6章 世界の 中の日本経済(21)
  第7章 世界の 国々と力をあわせる(23)
おわりの章                     3
合計ページ数                  223
 
 

5.お わりに

 物事の価値 観が、時代とともに少しづつ変化すること当然の成り行きでしょう。
とくに経済性を考え た時に、それも世界的な規模で考えた時に、資源の量的な限界、
労働力の質と量、さ らには地理的な制約、政治的な配慮など、色々な要因で
価値観は変化してい くこと、ある意味では止むおえない事とも思います。

 戦後の日本 の価値観の変化の中で、海運、造船、貿易、水産などのそれが
如何に変化してきた かを、中学校社会科教科書記述の変遷との関連で見てきました。
 しかしながら、日 本の社会、生活の中には、持続性をもたせるべき価値観もあるはずと
思っております。

 本編の冒頭 で申し上げましたように、「貿易立国である事。」「資源の無い国である事。」
「物資の安全な海上 輸送は極めて大切である事。」「海から多大な恩恵を受けつづける
国であること。」な どに関しては、日本が置かれている諸環境が大きく変化したわけでもなく
価値観の変化があっ てはならないと考えております。

 具体的な例 では、毎年の海運白書に記述されている「一定の基準を満たした
日本船舶に乗り組む 日本人は船機長だけでよい」とするなど、あまりにも唐突な
論理には、とても理 解ができません。
 船機長はどうやっ て育てるのか??といった説明がなされてないのです。
 経済的な理由だけ で、日本人船員をこのまま消滅するに任せておいてよいのか??

 さらには、 日本が誇った造船技術を葬り去ってよいのだろうか??といった問題も
あります。 
 港内操船を業とし ている私どもが、日頃接する問題の中に、人的な安全性の
欠如に加えて、船舶 設備、構造、あるいは性能面で安全性がかなり低下してきている
のではないかといっ た危惧があります。

 かつては、 わが国で建造された船舶の安全性の高さは国際的にも高く評価されていた。
 それが現在は如何 であろうか??
 造船王国日本が、 円高を契機にその座を東南アジアに譲って久しい。
 造船各社は、規模 の縮小、人的リストラに明け暮れ、優秀な技術者の多くが多産業に
転職せざるをえな かった。
 技術の伝承が経済 性の追求の面から崩れていったこと、容易に理解できる。 

 日本に寄港 する船舶の多くが東南アジア製となったが、日本製の船舶の多くにも
極めて低レベルのエ ンジントラブルその他の不具合が発生し、その船を運航している
船長から指摘される につけ、四囲を海に囲まれた海洋立国日本の沿岸を汚染から
守れるのか??と いった疑念が頭から離れない。 
 
 一方、主権国家で あるわが国の港湾、沿岸の安全。
 規制緩和の大儀の もとに、あるいは又入港コスト削減という経済性の追及を優先
するため、安全関係 国内法に全く無知な外国船に無謀に門戸を広げたこと。
 これらによって、 港湾、沿岸が、極めて危険な状態にさらされております。

 これらの問 題は、どれ一つをとっても大きな問題であり、国民の皆様の強力な
バックアップが無け れば、最早歯止めが効かない状態と云えましょう。
 
 この辺で、国民の 皆様とともに「海の事」について、貿易の問題、資源の問題、
水際の安全の問題を 中心に考えようではありませんか??
 その為に、「海の 日」が国民の祝日として制定されたものと考えたい。
 毎年の7月にやっ てくる「海の日」に、マスコミをあげて、「海と戯れるだけ!!」で
この日を終わらせて はいけないと思います。

 しかるに、 昨年の配信メール(99-03)「フェリーむろとの座礁」の際には、事故を報ずる
各紙の記述に、いず れも「海事音痴!!」を見ました。

 配信メール (99-08)「教育現場で忘れ去られた貿易立国」の中では、高校を卒業した
ばかりの我が娘に、 「海事貿易関係キーワード」をいくつか書いて見せて、中学校か高校で
勉強した事があるか を問いかけたところ、学校ではそれらを一つも聞いた事もないとの答えに
驚愕したこと。
 さらには、「海と 船の写真展」で一人の娘さんの船の写真についての問いかけに対して、
なにも答えられない 若いお母さんのことを書きました。

 これらの事 柄に接して、「国民の海事音痴」の根拠は、学校教科書にあるのではないか?
との思いを強くした 次第です。

 以来、学校 教科書に関心を持ち、、今回の「教科書調べ」に取りついた次第です。
高等学校の教科書 は、昭和30年代のものも、現在のものも大きな変化はありませんでした。
いずれも大学受験の 為の詰め込み型、まるで現代用語辞典と同じで、社会に
出ていく為には、何 が大切か??ではなく、現代の社会で使われている用語を
知っておくこと。  大学入試に出たら答えが書けるように。。。でした。

 問題点は、 中学校社会科教科書「公民的分野」にありました。

 結局、海 事・海運・貿易等の分野が、教科書といった土俵からはじき出された
要因の一つが、この ような、人権や権利への過重偏重にあるものと考えられます。

 アメリカの 小中学校教育現場では、大多数の親から見て、子供の教育面で「不適格」と
判断されたら、「先 生の首が飛ぶ」という制度が機能しています。
 従って日本のよう に、小中学校の先生の常識と親の常識に大きな隔たりが生ずることは
ありません。

 現在の小中 学校教育現場での最大の犠牲者は子供達です。
 なにも知らない子 供達は、卒業式や入学式で先生の指導よろしきを得て、国歌を歌わず、
国旗に礼せず!!全 員退席するとのこと。。。
 ある新聞では、こ の子供達は、将来会社の入社式で「国旗に礼せず」を通せるのか??
 また、もしオリン ピックの選手になって出場し、表彰台に立ったとき、どのような態度を
とるのだろうか?? おそらく世界が認める常識的な態度をとることだろう。。。と報じていた。

 では、今の 学校で先生方は、何故その常識を教えることを拒否するのだろうか??
 教育現場だけの純 粋培養では、世の中で生きていくためのミニマムの常識すら
身につかない。
 すくなくとも現状 のままでは。。。何とかしなければ。。。

 去る平成 12年3月16日の読売新聞朝刊に「教育改革国民会議始動!!」と大きく掲載された。
 その記事の概要を お伝えします。

 首相の私的 諮問機関「教育改革国民会議」の委員26人(座長:江崎玲於奈氏、ほか委員には
わが尊敬する曽野綾 子氏も含まれている)が15日決まり、小渕内閣が「最重要課題」と掲げる
教育改革の論議がい よいよ始動する。首相直属で教育問題を論議する機関ができるのは、
中曽根内閣が設置し た臨時教育審議会(臨教審、84-87年)以来13年ぶり。
首相は、国民会議の 議論を通して教育問題への積極姿勢を示す事で、失点続きの政権の
浮揚につなげたい考 えだ。

首相へのイン タビュー
「何を議論するの か」
 戦後教育について 総点検するとともに、現在の教育の問題がなぜ起こっているかについて、
教育の基本にさかの ぼって議論していただきたい。
(解説)
 国民会議では、学 級崩壊やいじめ、不登校といった教育現場が抱える様々な問題への
対応策に加え、長期 的な教育改革の展望が議論される見通しだ。
 文部省の中央教育 審議会(文相の諮問機関)が34回、臨教審も4回、過去に答申を出している。
 にもかかわらず、 教育現場が改善されない点を考慮し、国民会議では、「学校だけでなく、
社会全体を変えてい く議論をしていく」としている。
 
 父親である皆さ ん!!是非この機会に、中学校社会科「公民的分野」の教科書をご覧下さい。
そして、出きるだけ PTAに出席する機会を多くして頂きたいものです。
 長い間、共働きを してきた我が家では、何回も、子供のPTAに「母親の代理!!」として
 父親である私が出 席した事があります。

 いつの時 も、父親の出席は、私だけで肩身の狭い思いをしました。
 あくまでも「母親 の代理」である事を前面に出しての出席でした。
 これではいけませ んね。。。。
 「自主的に、当事 者としての姿勢での出席でなければ。。。」
 遅すぎる反省をし ております。

 緊急課題と して云える事は、小中学校といった人格形成の面で最も大切とされる
教育現場を、「特異 な考え」に染まってしまって「治外法権化した」、また
「浮世離れした」世 界から、「現実の世界」に引き戻すための力の総結集では
ないでしょうか。

 小中学校教 育現場の常識が、日本の常識となってはなりません。
 子供達を、教育公 害から守る為、さらには健全な日本の常識を守る為、
小中学校教育現場の 看視を怠ることなく、外の世界の空気を十分に取り入れた
教科書の編纂が行わ れるよう、教育現場以外の皆様の参画を願う次第です。

                              

                                稲葉 八洲雄
                 

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